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三代会長 著作等一覧について

1、私の入信動機
中学生の時は成績もよく、地元市内のトップの高校に進学した。しかし、高校では地元のトップクラスの生徒たちが
そろっているので、それまでトップクラスだったのがいきなり中ぐらいに落ちた。すっかり自分自身に対する自信を
なくし、本も読まなくなり、考えることすらできなくなった。そんななかで大学受験に失敗。ここで、初めて自分自
身と向き合うことになった。自分の心の中が空っぽであることに気づいた。予備校にも行かず、毎日電車に乗って、
福岡の久留米の市立図書館に通い本を読み漁った。心理学の本や、哲学の本を読んだ。でも答えがでない。そんな悶
々としていたある日、その図書館で、「私はこう思う」池田大作 という白い硬い表紙の本を見つけた。それまで私
は、創価学会の名すら聞いたことがなかった。「池田大作」−−−”時代劇にでてくるような名前”だと思った。時
代劇にでている人の書いた本かなと思って中を読んだ。しかし中を読んで感激した。いままで味わったことのない感
激を覚えた。どこを読んでも質がある。内容がある。池田先生の本を読んでいる間だけ、ベクトルが前向きになれた。
頭の皮質が感激で刺激されて、全体の各細胞が収まるべきところにおさまるという感じだった。好きな文章を手帳に
書き、電車の中で何度も読んだ。図書館でも他の「池田大作」の本を探した。本屋でも探したがなかった。そんな中
で、西鉄久留米駅内の本屋で聖教文庫のコーナーを見つけた。「池田大作」と書いてある本がずらーっとあった。
『あたった〜!』すごく感激した。嬉しかった。10冊近くレジにもっていったような気がする。
その後、進学のため、岡山に来た。私の友人の友人が私が「池田先生」の本を読んでいるということを聞きつけて、
折伏に来てくれた。まさに、池田先生の本があったから、私は入信することができた。
 

2、三代会長著作等一覧作成
一般的な風潮として、本を読まなくなった。ゲームなど自分で思索することから逃げ、一時の快楽だけを追い求める
ような風潮がある。それは積極的に楽しむということより、現実からの逃避行動に近い。しかし、人というものは自
分からは逃れることはできない。
本というものは、その人の思想を留め、人に伝える媒体として、いまだその価値ははかりしれない。その中で先生の
著作は人類の希望の砦だと思う。しかし、一般の図書館に学会関係の書籍は少ない。学会関係の書籍を集めた図書館
を作りたいと思った。しかし、独身貧族の自分としては限りなく不可能に近い。そこで、リストだけでも整理してお
きたいと思ったのが、本ページを作ろうと思ったきっかけである。
信濃町には信濃図書館がある。しかし、地方には何もない。会館に図書室すらない。「家に本なきは人に魂なきがご
とし」という言葉もある。また、個人の家に所蔵するには限界がある。
21世紀、いずれその時は来る。先生の思想を後世に留めるためになんらかの整備が必要と考える。
また、時流を敷延して考えれば、インターネット社会の普及はその加速度を増してきており、媒体が紙からケーブル
にとってかわりつつある。できうることなら、思想や哲学をディジタル化し、時にあわせて展開していくことが必要
だと思われる。しかし、ディジタル化は著作権保護および著作者対価の問題と対立しており、常に苦慮を伴う。
基本は「一対一の対話」である。魂と魂の対話は座談以外の最良の方法はないと思う。しかし、時間と活動範囲には
限界がある。便利にできるところは、価値的に積極的に便利にするべき、打って出るべきだと思う。
もし、この一覧がなんらかの点でお役にたてば望外の喜びである。
 

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