日蓮大聖人御書
ネット御書
(八宗違目抄)
<1.前 P0158 2.次>

勅委して五台山に往いて功徳を修せしむ、時に天台の宗学湛然[妙楽天台第六の師なり]禅観を解了して深く智者[天台なり]の膏腴を得たりと、嘗つて江淮の僧四十余人と清涼の境界に入る、湛然光と相見て西域伝法の事を問う、光の云く一国の僧空宗を体得する有りと問うて智者の教法に及ぶ梵僧云く曾て聞く此の教邪正を定め偏円を暁り止観を明して功第一と推す再三光に嘱す或は因縁あつて重ねて至らば為に唐を翻して梵と為して附し来れ某願くは受持せんと屡屡手を握つて叮嘱す、詳かにするに其の南印土には多く竜樹の宗見を行ず故に此の流布を願うこと有るなりと、菩提心義の三に云く一行和上は元是れ天台一行三昧の禅師なり能く天台円満の宗趣を得たり故に凡そ説く所の文言義理動もすれば天台に合す、不空三蔵の門人含光天竺に帰るの日天竺の僧問わく伝え聞く彼の国に天台の教有りと理致須ゆ可くば翻訳して此の方に将来せんや云云、此の三蔵の旨も亦天台に合す、今或る阿闍梨の云く真言を学せんと欲せば先ず共に天台を学せよと而して門人皆瞋る」云云。
 問うて云く華厳経に一念三千を明すや、答えて云く「心仏及衆生」等云云、止観の一に云く「此の一念の心は縦ならず横ならず不可思議なり但己のみ爾るに非ず仏及び衆生も亦復是くの如し、華厳に云く心と仏と及び衆生と是の三差別無しと当に知るべし己心に一切の法を具することを」文、弘の一に云く「華厳の下は引いて理の斉きことを証す、故に華厳に初住の心を歎じて云く心の如く仏も亦爾なり仏の如く衆生も然り心と仏と及び衆生と是の三差別無し諸仏は悉く一切は心に従つて転ずと了知したまえり、若し能く是くの如く解すれば彼の人真に仏を見たてまつる、身亦是れ心に非ず心も亦是れ身に非ず一切の仏事を作すこと自在にして未曾有なり、若し人三世一切の仏を知らんと欲求せば応に是くの如き観を作すべし心諸の如来を造すと、若し今家の諸の円文の意無くんば彼の経の偈の旨理として実に消し難からん」と。


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