日蓮大聖人御書
ネット御書
(早勝問答)
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一義に云く悪事を致せとは法華経二十八品の中には何れの処に見えたるや。
 問う絶待妙の事、答う一義に云く先ず文段を問う可し、一義に云く何れの教の絶待ぞや、一義に云く此の故に慈覚は法華を謗ずるか。
 問う相待は一往絶待は再往と見えたり如何、答う自義なるか経文なるか、一義に云く相待妙一往と云うは二十八品の中には何れに見えたるや、一義に云く相待妙は法華に明すか余経に明すか若し法華に明さば法華は一往なるか。
 問う約教約部の故に約部の日は一往爾前の円を嫌うなり、答う一義に云く言う所の約教は天台の判釈の四種の約教の中には何れぞや、一義に云く約部は落居の釈なるか、一義に云く約部を捨つ可きか、一義に云く約教の時爾前の円を嫌わば堕獄は治定なるか、一義に云く約教の辺にて今昔円同じとは法華経二十八品の中何れぞや、一義に云く玄文の第一の施開廃の三重の故に開会の後も余経を捨つると云う文をば知るか知らざるか。
山門流の真言宗問答
 問う法華第一と云うは顕教の門なり真言に対すれば第一とは云う可からず、答う自義なるか経文なるか爰を以て慈覚大師を無間と申すなり、一義に云く真言に対して法華第一ならば亡国治定なるか、一義に云く真言は已今当の中には何れぞや、若し外と云わば一機一縁の一往にして秘密とは云わる可からざるなり。
 問う法華と真言とは理同事勝の故に真言に対すれば戯論の法と云うか、答う一義に云くさてこそ汝は無間治定なれ、一義に云くさては慈覚は真言をも謗ずるなり其の故は理同の法華を謗ずる故なり。
 問う伝教の本理大綱集の文を以て顕密同と云う事、答う一義に云く此の書は伝教の御作に非ざるなり、一義に云く此の書に依つて法華を慈覚は謗ずるか。


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