日蓮大聖人御書
ネット御書
(開目抄上)
<1.前 P0198 2.次>

しばらく影を大小の器にして浮べ給うを諸宗の学者等近くは自宗に迷い遠くは法華経の寿量品をしらず水中の月に実の月の想いをなし或は入つて取らんとをもひ或は縄をつけてつなぎとどめんとす、天台云く「天月を識らず但池月を観ず」等云云。
 日蓮案じて云く二乗作仏すら猶爾前づよにをぼゆ、久遠実成は又にるべくもなき爾前づりなり、其の故は爾前法華相対するに猶爾前こわき上爾前のみならず迹門十四品も一向に爾前に同ず、本門十四品も涌出寿量の二品を除いては皆始成を存せり、雙林最後の大般涅槃経四十巻其の外の法華前後の諸大経に一字一句もなく法身の無始無終はとけども応身報身の顕本はとかれず、いかんが広博の爾前本迹涅槃等の諸大乗経をばすてて但涌出寿量の二品には付くべき。
 されば法相宗と申す宗は西天の仏滅後九百年に無著菩薩と申す大論師有しき、夜は都率の内院にのぼり弥勒菩薩に対面して一代聖教の不審をひらき昼は阿輸舎国にして法相の法門を弘め給う、彼の御弟子は世親護法難陀戒賢等の大論師なり、戒日大王頭をかたぶけ五天幢を倒して此れに帰依す、尸那国の玄奘三蔵月氏にいたりて十七年印度百三十余の国国を見ききて諸宗をばふりすて此の宗を漢土にわたして太宗皇帝と申す賢王にさづけ給い肪尚光基を弟子として大慈恩寺並に三百六十余箇国に弘め給い、日本国には人王三十七代孝徳天皇の御宇に道慈道昭等ならいわたして山階寺にあがめ給へり、三国第一の宗なるべし、此の宗の云く始め華厳経より終り法華涅槃経にいたるまで無性有情と決定性の二乗は永く仏になるべからず、仏語に二言なし一度永不成仏と定め給いぬる上は日月は地に落ち給うとも大地は反覆すとも永く変改有べからず、されば法華経涅槃経の中にも爾前の経経に嫌いし無性有情決定性を正くついさして成仏すとはとかれず、まづ眼を閉じて案ぜよ法華経涅槃経に決定性無性有情正く仏になるならば無著世親ほどの大論師玄奘慈恩ほどの三蔵人師これをみざるべしや此をのせざるべしや


<1.前 P0198 2.次>