日蓮大聖人御書
ネット御書
(開目抄下)
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善無畏三蔵震旦に来つて後天台の止観を見て智発し大日経の心実相我一切本初の文の神に天台の一念三千を盗み入れて真言宗の肝心として其の上に印と真言とをかざり法華経と大日経との勝劣を判ずる時理同事勝の釈をつくれり、両界の漫荼羅の二乗作仏十界互具は一定大日経にありや第一の誑惑なり、故に伝教大師云く「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯じ、旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠す」等云云、俘囚の嶋なんどにわたてほのぼのといううたはわれよみたりなんど申すはえぞていの者はさこそとをもうべし、漢土日本の学者又かくのごとし、良ー和尚云く「真言禅門華厳三論乃至若し法華等に望めば是接引門」等云云、善無畏三蔵の閻魔の責にあづからせ給しは此の邪見による後に心をひるがへし法華経に帰伏してこそこのせめをば脱させ給いしか、其の後善無畏不空等法華経を両界の中央にをきて大王のごとくし胎蔵の大日経金剛の金剛頂経をば左右の臣下のごとくせしこれなり、日本の弘法も教相の時は華厳宗に心をよせて法華経をば第八にをきしかども事相の時には実慧真雅円澄光定等の人人に伝え給いし時両界の中央に上のごとくをかれたり、例せば三論の嘉祥は法華玄十巻に法華経を第四時会二破二と定れども天台に帰伏して七年つかへ廃講散衆して身を肉橋となせり、法相の慈恩は法苑林七巻十二巻に一乗方便三乗真実等の妄言多し、しかれども玄賛の第四には故亦両存等と我が宗を不定になせり、言は両方なれども心は天台に帰伏せり、華厳の澄観は華厳の疏を造て華厳法華相対して法華を方便とかけるに似れども彼の宗之を以て実と為す此の宗の立義理通ぜざること無し等とかけるは悔い還すにあらずや、弘法も又かくのごとし、亀鏡なければ我が面をみず敵なければ我が非をしらず、真言等の諸宗の学者等我が非をしらざりし程に伝教大師にあひたてまつて自宗の失をしるなるべし。
 されば諸経の諸仏菩薩人天等は彼彼の経経にして仏にならせ給うやうなれども実には法華経にして正覚なり給へり、


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