日蓮大聖人御書
ネット御書
(開目抄下)
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生蘇従り熟蘇を出し熟蘇従り醍醐を出す醍醐は最上なり、若し服すること有る者は衆病皆除き所有の諸薬も悉く其の中に入るが如し、善男子仏も亦是くの如し仏従り十二部経を出し十二部経従り修多羅を出し修多羅従り方等経を出し方等経従り般若波羅蜜を出し般若波羅蜜従り大涅槃を出す猶醍醐の如し醍醐と言うは仏性に喩う」等云云。
 此等の経文を法華経の已今当六難九易に相対すれば月に星をならべ九山に須弥を合せたるににたり、しかれども華厳宗の澄観法相三論真言等の慈恩嘉祥弘法等の仏眼のごとくなる人猶此の文にまどへり、何に況や盲眼のごとくなる当世の学者等勝劣を弁うべしや、黒白のごとくあきらかに須弥芥子のごとくなる勝劣なをまどへりいはんや虚空のごとくなる理に迷わざるべしや、教の浅深をしらざれば理の浅深を弁うものなし巻をへだて文前後すれば教門の色弁えがたければ文を出して愚者を扶けんとをもう、王に小王大王一切に少分全分五乳に全喩分喩を弁うべし、六波羅蜜経は有情の成仏あつて無性の成仏なし何に況や久遠実成をあかさず、猶涅槃経の五味にをよばず何に況や法華経の迹門本門にたいすべしや、而るに日本の弘法大師此の経文にまどひ給いて法華経を第四の熟蘇味に入れ給えり、第五の総持門の醍醐味すら涅槃経に及ばずいかにし給いけるやらん、而るを震旦の人師争つて醍醐を盗むと天台等を盗人とかき給へり惜い哉古賢醍醐を嘗めず等と自歎せられたり、此等はさてをく我が一門の者のためにしるす他人は信ぜざれば逆縁なるべし、一ィをなめて大海のしををしり一華を見て春を推せよ、万里をわたて宋に入らずとも三箇年を経て霊山にいたらずとも竜樹のごとく竜宮に入らずとも無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも二所三会に値わずとも一代の勝劣はこれをしれるなるべし、蛇は七日が内の洪水をしる竜の眷属なるゆへ烏は年中の吉凶をしれり過去に陰陽師なりしゆへ鳥はとぶ徳人にすぐれたり。


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