日蓮大聖人御書
ネット御書
(撰時抄)
<1.前 P0279 2.次>

而るを賢愛論師と申せし小僧あり彼をただすべきよし申せしかども王臣万民これをもちゐず、結句は大慢が弟子等檀那等に申しつけて無量の妄語をかまへて悪口打擲せしかどもすこしも命もをしまずののしりしかば帝王賢愛をにくみてつめさせんとし給いしほどにかへりて大慢がせめられたりしかば、大王天に仰ぎ地に伏してなげひての給はく朕はまのあたり此の事をきひて邪見をはらしぬ先王はいかに此の者にたぼらされて阿鼻地獄にをはすらんと賢愛論師の御足にとりつきて悲涙せさせ給いしかば、賢愛の御計いとして大慢を驢にのせて五竺に面をさらし給いければいよいよ悪心盛になりて現身に無間地獄に堕ちぬ、今の世の真言と禅宗等とは此れにかわれりや、漢土の三階禅師の云く教主釈尊の法華経は第一第二階の正像の法門なり末代のためには我がつくれる普経なり法華経を今の世に行ぜん者は十方の大阿鼻獄に堕つべし、末代の根機にあたらざるゆへなりと申して、六時の礼懺四時の坐禅生身仏のごとくなりしかば、人多く尊みて弟子万余人ありしかどもわづかの小女の法華経をよみしにせめられて当坐には音を失い後には大蛇になりてそこばくの檀那弟子並びに小女処女等をのみ食いしなり、今の善導法然等が千中無一の悪義もこれにて候なり、此等の三大事はすでに久くなり候へばいやしむべきにはあらねども申さば信ずる人もやありなん、これよりも百千万億倍信じがたき最大の悪事はんべり、慈覚大師は伝教大師の第三の御弟子なりしかれども上一人より下万民にいたるまで伝教大師には勝れてをはします人なりとをもひり、此の人真言宗と法華宗の実義を極めさせ給いて候が真言は法華経には勝れたりとかかせ給へり、而るを叡山三千人の大衆日本一州の学者等一同の帰伏の義なり、弘法の門人等は大師の法華経を華厳経に劣るとかかせ給えるは、我がかたながらも少し強きやうなれども、慈覚大師の釈をもつてをもうに真言宗の法華経に勝れたることは一定なり、日本国にして真言宗を法華経に勝るると立つるをば叡山こそ強きかたきなりぬべかりつるに慈覚をもつて三千人の口をふさぎなば真言宗はをもうごとし、されば東寺第一のかたうど慈覚大師にはすぐべからず、


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