日蓮大聖人御書
ネット御書
(報恩抄)
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大唐の揚州竜興寺の僧鑒真和尚は天台の末学道暹律師の弟子天宝の末に日本国にわたり給いて小乗の戒を弘通せさせ給いしかども天台の御釈持ち来りながらひろめ給はず人王第四十五代聖武天王の御宇なりとかたる、其の書を見んと申されしかば取り出だして見せまいらせしかば一返御らんありて生死の酔をさましつ此の書をもつて六宗の心を尋ねあきらめしかば一一に邪見なる事あらはれぬ、忽に願を発て云く日本国の人皆謗法の者の檀越たるが天下一定乱れなんずとおぼして六宗を難ぜられしかば七大寺六宗の碩学蜂起して京中烏合し天下みなさわぐ、七大寺六宗の諸人等悪心強盛なり、而るを去ぬる延暦二十一年正月十九日に天王高雄寺に行幸あつて七寺の碩徳十四人善議勝猷奉基寵忍賢玉安福勤操修円慈誥玄耀歳光道証光証観敏等の十有余人を召し合わす、華厳三論法相等の人人各各我宗の元祖が義にたがはず最澄上人は六宗の人人の所立一一に牒を取りて本経本論並に諸経諸論に指し合わせてせめしかば一言も答えず口をして鼻のごとくになりぬ、天皇をどろき給いて委細に御たづねありて重ねて勅宣を下して十四人をせめ給いしかば承伏の謝表を奉りたり、其書に云く「七箇の大寺六宗の学匠乃至初て至極を悟る」等云云又云く「聖徳の弘化より以降今に二百余年の間講ずる所の経論其数多し、彼此理を争うて其の疑未だ解けず而も此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず」等云云、又云く「三論法相久年の諍渙焉として氷の如く解け照然として既に明かに猶雲霧を披いて三光を見るがごとし」云云、最澄和尚十四人が義を判じて云く「各一軸を講ずるに法鼓を深壑に振い賓主三乗の路に徘徊し義旗を高峰に飛す長幼三有の結を摧破して猶未だ歴劫の轍を改めず白牛を門外に混ず、豈善く初発の位に昇り阿荼を宅内に悟らんや」等云云、弘世真綱二人の臣下云く「霊山の妙法を南岳に聞き総持の妙悟を天台に闢く一乗の権滞を慨き三諦の未顕を悲しむ」等云云、又十四人の云く「善議等牽れて休運に逢て乃ち奇詞を閲す深期に非るよりは何ぞ聖世に託せんや」等云云、此の十四人は華厳宗の法蔵審祥三論宗の嘉祥観勒法相宗の慈恩道昭律宗の道宣鑒真等の漢土日本元祖等の法門


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