日蓮大聖人御書
ネット御書
(下山御消息)
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今年は一定寄せぬと覚ふ若し寄するならば一人も面を向う者あるべからず此れ又天の責なり、日蓮をばわどのばら(和殿原)が用いぬ者なれば力及ばず、穴賢穴賢真言師等に調伏行わせ給うべからず若し行わするほどならいよいよ悪かるべき由申付けてさて帰りてありしに上下共に先の如く用いさりげに有る上本より存知せり国恩を報ぜんがために三度までは諌暁すべし用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり、又上古の本文にも三度のいさめ用いずば去れといふ本文にまかせて且く山中に罷り入りぬ、其の上は国主の用い給はざらんに其れ已下に法門申して何かせん申したりとも国もたすかるまじ人も又仏になるべしともおぼへず。
 又念仏無間地獄阿弥陀経を読むべからずと申す事も私の言にはあらず、夫れ弥陀念仏と申すは源と釈迦如来の五十余年の説法の内前四十余年の内の阿弥陀経等の三部経より出来せり、然れども如来の金言なれば定めて真実にてこそあるらめと信ずる処に後八年の法華経の序分たる無量義経に仏法華経を説かせ給はんために先づ四十余年の経経並に年紀等を具に数へあげて未顕真実乃至終不得成無上菩提と若干の経経並に法門を唯一言に打ち消し給う事譬えば大水の小火をけし大風の衆の草木の露を落すが如し、然後に正宗の法華経の第一巻に至つて世尊法久後要当説真実又云く正直捨方便但説無上道と説き給う譬へば闇夜に大月輪の出現し大塔立て後足代を切り捨つるが如し、然後実義を定めて云く「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す、復教詔すと雖も而も信受せず、乃至経を読誦し書き持つこと有らん者を見て軽賎憎嫉して而も結恨を懐かん、其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云、経文の次第普通の性相の法には似ず常には五逆七逆の罪人こそ阿鼻地獄とは定めて候に此れはさにては候はず在世滅後の一切衆生阿弥陀経等の四十余年の経経を堅く執して法華経へうつらざらんとたとひ法華経へ入るとも本執を捨てずして彼彼の経経を法華経に並て修行せん人と又自執の経経を法華経に勝れたりといはん人と法華経を法の如く修行すとも


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