日蓮大聖人御書
ネット御書
(十法界事)
<1.前 P0419 2.次>

所以は如来の説教は機に備りて虚からず是を以て頓等の四教蔵等の四教八機の為に設くる所にして得益無きに非ず、故に無量義経には「是の故に衆生の得道差別あり」と説く、誠に知んぬ「終に無上菩提を成ずることを得ず」と説くと雖も而も三法四果の益無きに非ず、但是れ速疾頓成と歴劫迂回との異なるのみ、是れ一向に得道無きに非ざるなり、是の故に或は三明六通も有り或は普現色身の菩薩も有り縦い一心三観を修して以て同体の三惑を断ぜずとも既に析智を以て見思を断ず何ぞ二十五有を出でざらん、是の故に解釈に云く「若し衆生に遇うて小乗を修せしめば我則ち慳貪に堕せん此の事不可なりとして祇二十五有を出す」[已上]、当に知るべし此の事不可と説くと雖も而も出界有り但是れ不思議の空を観ぜざるが故に不思議の空智を顕さずと雖も何ぞ小分の空解を起さざらん、若し空智を以て見思を断ぜずと云わば開善の無声聞の義に同ずるに非ずや、況や今の経は正直捨権純円一実の説なり諸の爾前の声聞の得益を挙げて「諸漏已に尽きて復煩悩無し」と説き又「実に阿羅漢を得此の法を信ぜず是の処有ること無し」と云い又「三百由旬を過ぎて一城を化作す」と説く、若し諸の声聞全く凡夫に同ぜば五百由旬一歩も行く可からず。
 又云く「自ら所得の功徳に於て滅度の想を生じて当に涅槃に入るべし、我余国に於て作仏して更に異名有らん是の人滅度の想を生じて涅槃に入ると雖も而も彼の土に於て仏の智慧を求めて是の経を聞くことを得ん」[已上]、此の文既に証果の羅漢法華の座に来らずして無余涅槃に入り方便土に生じて法華を説くを聞くと見えたり、若し爾らば既に方便土に生じて何んぞ見思を断ぜざらん是の故に天台妙楽も「彼土得聞」と釈す、又爾前の菩薩に於て「始めて我が身を見我が所説を聞いて即ち皆信受し如来慧に入りにき」と説く、故に知んぬ爾前の諸の菩薩三惑を断除して仏慧に入ることを、故に解釈に云く「初後の仏慧円頓の義斉し」[已上]。
 或は云く「故に始終を挙ぐるに意仏慧に在り」と若し此等の説相経釈共に非義ならば正直捨権の説唯以一大事の文


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