日蓮大聖人御書
ネット御書
(持妙法華問答抄)
<1.前 P0464 2.次>

但し法華経をばいかように心得候てか速に菩提の岸に到るべきや、伝え聞く一念三千の大虚には慧日くもる事なく一心三観の広池には智水にごる事なき人こそ其の修行に堪えたる機にて候なれ、然るに南都の修学に臂をくだく事なかりしかば瑜伽唯識にもくらし北嶺の学文に眼をさらさざりしかば止観玄義にも迷へり、天台法相の両宗はほとぎを蒙りて壁に向へるが如し、されば法華の機には既にもれて候にこそ何んがし候べき、答えて云く利智精進にして観法修行するのみ法華の機ぞと云つて無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり是れ還つて愚癡邪見の至りなり、一切衆生皆成仏道の教なれば上根上機は観念観法も然るべし下根下機は唯信心肝要なり、されば経には「浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄餓鬼畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん」と説き給へり、いかにも信じて次の生の仏前を期すべきなり、譬えば高き岸の下に人ありて登ることあたはざらんに又岸の上に人ありて繩をおろして此の繩にとりつかば我れ岸の上に引き登さんと云はんに引く人の力を疑い繩の弱からん事をあやぶみて手を納めて是をとらざらんが如し争か岸の上に登る事をうべき、若し其の詞に随ひて手をのべ是をとらへば即ち登る事をうべし、唯我一人能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教への繩をあやぶみて決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず菩提の岸に登る事難かるべし、不信の者は堕在泥梨の根元なり、されば経には「疑を生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」と説かれたり、受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ、同じく信を取るならば又大小権実のある中に諸仏出生の本意衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ、持つ処の御経の諸経に勝れてましませば能く持つ人も亦諸人にまされり、爰を以て経に云く「能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為第一なり」と説き給へり大聖の金言疑ひなし、然るに人此の理をしらず見ずして名聞狐疑偏執を致せるは堕獄の基なり、只願くは経を持ち名を十方の仏陀の願海に流し誉れを三世の菩薩の慈天に施すべし、然れば法華経を持ち奉る人は天竜八部諸大菩薩を以て我が眷属とする者なり、


<1.前 P0464 2.次>