日蓮大聖人御書
ネット御書
(聖愚問答抄上)
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経文を手に把らずば用ゐざれとなり、天台大師の云く「修多羅と合する者は録して之を用いよ文無く義無きは信受す可からず」文、釈の意は経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり、伝教大師の云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」文、前の釈と同意なり、竜樹菩薩の云く「修多羅白論に依つて修多羅黒論に依らざれ」と文、意は経の中にも法華已前の権教をすてて此の経につけよとなり、経文にも論文にも法華に対して諸余の経典を捨てよと云う事分明なり、然るに開元の録に挙る所の五千七千の経巻に法華経を捨てよ乃至抛てよと嫌ふことも又雑行に摂して之を捨てよと云う経文も全く無しされば慥の経文を勘へ出して善導法然の無間の苦を救はるべし、今世の念仏の行者俗男俗女経文に違するのみならず又師の教にも背けり、五種の雑行とて念仏申さん人のすつべき日記善導の釈之れ有り、其の雑行とは選択に云く「第一に読誦雑行とは上の観経等の往生浄土の経を除いて已外大小乗顕密の諸経に於て受持読誦するを悉く読誦雑行と名く乃至第三に礼拝雑行とは上の弥陀を礼拝するを除いて已外一切諸余の仏菩薩等及諸の世天に於て礼拝恭敬するを悉く礼拝雑行と名く、第四に称名雑行とは上の弥陀の名号を称するを除いて已外自余の一切仏菩薩等及諸の世天等の名号を称するを悉く称名雑行と名く、第五に讃歎供養雑行とは上の弥陀仏を除いて已外一切諸余の仏菩薩等及諸の世天等に於て讃歎し供養するを悉く讃歎供養雑行と名く」文。
 此の釈の意は第一の読誦雑行とは念仏申さん道俗男女読むべき経あり読むまじき経ありと定めたり、読むまじき経は法華経仁王経薬師経大集経般若心経転女成仏経北斗寿命経ことさらうち任せて諸人読まるる八巻の中の観音経此等の諸経を一句一偈も読むならばたとひ念仏を志す行者なりとも雑行に摂せられて往生す可からず云云予愚眼を以て世を見るに設ひ念仏申す人なれども此の経経を読む人は多く師弟敵対して七逆罪となりぬ。
 又第三の礼拝雑行とは念仏の行者は弥陀三尊より外は上に挙ぐる所の諸仏菩薩諸天善神を礼するをば礼拝雑行と名け又之を禁ず、


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