日蓮大聖人御書
ネット御書
(上行菩薩結要付属口伝)
<1.前 P0543 2.次>

像法に入つて四百余年あつて日本国へ百済国より一切経並に釈尊の木像僧尼等を渡す梁の末陳の始めに相当る日本国には神武天皇より第三十代欽明天皇の御宇なり、像法の後の五百年に三論法相等の六宗面面の異義あり爾れども各邪義なり、像法八百年に相当つて伝教大師日本に出でて彼の六宗の義を皆責め伏せ給えりと云云、伝教已後には東寺園城寺等の諸寺日本一同に云く「真言宗は天台宗に勝れたり」と云云、此大集経の多造塔寺堅固の時なり今末法に入つて仏滅後二千二百二十余年に当りて聖人出世す是は大集経の闘諍言訟白法隠没の時なり云云、夫れ釈迦の御出世は住劫第九の減人寿百歳の時なり百歳と十歳との中間は在世は五十年滅後は正像二千年と末法一万年となり、其の中間に法華経流布の時二度之れ有る可し、所謂在世の八年滅後には末法の始の五百年なり。
 夫れ仏法を学する法には必ず時を知る可きなり過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間一偈も之を説かず経に云く「一坐十小劫」と云云、又云く「仏時末だ至らずと知しめして 請を受け黙然として坐したまえり」と、今の教主釈尊も四十余年の間は法華経を説きたまわず経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等云云、老子は母の胎に処して八十年弥勒菩薩は兜率の内院にして五十六億七千万歳を待ちたもう仏法を修行する人人時を知らざらんや、爾らば末法の始には純円一実の流布とは知らざれども経文に任するに「我が滅度の後後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」と云云、誠に以て分明なり。


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