日蓮大聖人御書
ネット御書
(法華初心成仏抄)
<1.前 P0549 2.次>

 浄土宗の人人末法万年には余経悉く滅し弥陀一教のみと云ひ又当今末法は是れ五濁の悪世唯浄土の一門のみ有て通入す可き路なりと云つて虚言して大集経に云くと引ども彼の経に都て此文なし、其の上あるべき様もなし仏の在世の御言に当今末法五濁の悪世には但浄土の一門のみ入るべき道なりとは説き給うべからざる道理顕然なり本経には「当来の世経道滅尽し特り此の経を留めて止住する事百歳ならん」と説けり、末法一万年の百歳とは全く見えず、然るに平等覚経大阿弥陀経を見るに仏滅後一千年の後の百歳とこそ意えられたれ、然るに善導が惑へる釈をば尤も道理と人皆思へり是は諸僻案の者なり、但し心あらん人は世間のことはりをもつて推察せよ、大旱魃のあらん時は大海が先にひるべきか小河が先にひるべきか仏是を説き給うには法華経は大海なり観経阿弥陀経等は小河なり、されば念仏等の小河の白法こそ先にひるべしと経文にも説き給いて候ひぬれ、大集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳白法隠没と云と雙観経に経道滅尽と云とは但一つ心なり、されば末法には始めより雙観経等の経道滅尽すと聞えたり経道滅尽と云は経の利生の滅すと云う事なり、色の経巻有るにはよるべからず、されば当時は経道滅尽の時に至つて二百歳に余れり、此の時は但法華経のみ利生得益あるべし。
 されば此経を受持して南無妙法蓮華経と唱え奉るべしと見えたり薬王品には「後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむることなけん」と説き給ひ、天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾ん」と釈し、妙楽大師は「且らく大経の流行す可き時に拠る」と釈して後の五百歳の間に法華経弘まりて其の後は閻浮提の内に絶え失せる事有るべからずと見えたり、安楽行品に云く「後の末世の法滅せんと欲せん時に於て斯の経典を受持し読誦せん者」文 神力品に云く「爾の時に仏上行等の菩薩大衆に告げたまわく属累の為の故に此の経の功徳を説くとも猶尽すこと能わじ、要を以て之を云わば如来の一切の所有の法如来の一切の自在の神力如来の一切の秘要の蔵


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