日蓮大聖人御書
ネット御書
(御義口伝巻下)
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 御義口伝に云く上の凡有所見の見は内証所具の仏性を見るなり、此れは理なり遠見の見は四衆と云う間事なり仍つて上は心法を見る今は色法を見る色法は本門の開悟四一開会なり、心法を見るは迹門の意又四一開会なり、遠の一字は寿量品の久遠なり故に故往礼拝といえり云云。
第八心不浄者の事
 御義口伝に云く謗法の者は色心二法共に不浄なり、先ず心法不浄の文は今此の心不浄者なり、又身不浄の文は譬喩品に「身常臭処垢穢不浄」と云えり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は色心共に清浄なり、身浄は法師功徳品に云く「若持法華経其身甚清浄」の文なり、心浄とは提婆品に云く「浄心信敬」と云云、浄とは法華経の信心なり不浄とは謗法なり云云。
第九言是無智比丘の事
 御義口伝に云く此の文は法華経の明文なり、上慢の四衆不軽菩薩を無智の比丘と罵詈せり、凡有所見の菩薩を無智と云う事は第六天の魔王の所為なり、末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無智の比丘と謗ぜられん事経文の明鏡なり、無智を以て法華経の機と定めたり。
第十聞其所説皆信伏随従の事
 御義口伝に云く聞とは名字即なり所詮は而強毒之の題目なり、皆とは上慢の四衆等なり信とは無疑曰信なり伏とは法華に帰伏するなり随とは心を法華経に移すなり従とは身を此の経に移すなり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る行者は末法の不軽菩薩なり。
第十一於四衆中説法心無所畏の事
 御義口伝に云く四衆とは日本国の中の一切衆生なり説法とは南無妙法蓮華経なり、心無所畏とは今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と呼ばわる所の折伏なり云云。


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