日蓮大聖人御書
ネット御書
(御講聞書)
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火と云うは煩悩の火なり、此の火と宅とをば属于一人とて釈迦一仏の御利益なり、弥陀薬師大日等の諸仏の救護に非ず、教主釈尊一仏の御化導なり、唯我一人能為救護とは是なり、此の属于一人の文を重ねて、五巻提婆品に説いて云く観三千大千世界乃至無有如芥子許非是菩薩捨身命処為衆生故文、妙楽大師此の属于一人の経文を釈する時記の五に云く、咸く長者に帰す一色一香一切皆然なりと判ぜり、既に咸帰長者と釈して、法界に有りとある一切衆生の受くる苦悩をば、釈尊一人の長者に帰すと釈せり、一色一香一切皆然なりとは、法界の千草万木飛華落葉の為体、是れ皆無常遷滅の質と見て仏道に帰するも、属于一人の利益なり、此の利益の本源は南無妙法蓮華経の内証に引入れしめんが為なり、所詮末法に入つて属于一人の利益は日蓮が身に当りたり、日本国の一切衆生の受くる苦悩は、悉く日蓮一人が属于一人なり、教主釈尊は唯我一人能為救護、日蓮は一人能為救護に云云、文句の五に云く、是朽故宅属于一人の下、第二に一偈有り、失火の由を明す、三界は是れ仏の化応の処発心已来誓つて度脱せんと願う、故に属于一人と云うと、此の釈に発心已来誓願度脱の文、豈日蓮の身に非ずや云云。
一諸鬼神等揚声大叫の事 仰に云く諸鬼神等と云うは親類部類等を鬼神と云うなり、我等衆生死したる時妻子眷属あつまりて悲歎するを揚声大叫とは云うなり、文句の五に云く諸鬼神等の下第四に一行半は被焼の相を明す、或は云く親族を鬼神と為し哭泣を揚声と為すと。
一乗此宝乗直至道場の事 仰に云く此の経文は我等衆生の煩悩即菩提生死即涅槃を明せり、其の故は文句の五に云く、此の因易ること無きが故に直至と云う、此の釈の心は爾前の心は煩悩を捨てて生死を厭うて別に菩提涅槃を求めたり、法華経の意は煩悩即菩提生死即涅槃と云えり、直と即とは同じ事なり、所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の、住処即寂光土と心得可きなり、


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