日蓮大聖人御書
ネット御書
(善無畏三蔵抄)
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何に況や真言経に及ぶべしや、或は云く印真言のなき事は法華経に諍ふべからず、或は云く天台宗の祖師多く真言宗を勝ると云い世間の思いも真言宗勝れたるなんめりと思へり、日蓮此の事を計るに人多く迷ふ事なれば委細にかんがへたるなり、粗余処に注せり見るべし又志あらん人人は存生の時習い伝ふべし人の多くおもふにはおそるべからず、又時節の久近にも依るべからず専ら経文と道理とに依るべし、浄土宗は曇鸞道綽善導より誤り多くして多くの人人を邪見に入れけるを日本の法然是をうけ取つて人ごとに念仏を信ぜしむるのみならず天下の諸宗を皆失はんとするを叡山三千の大衆南都興福寺東大寺の八宗より是をせく故に代代の国王勅宣を下し将軍家より御教書をなしてせけどもとどまらず、弥弥繁昌して返つて主上上皇万民等にいたるまで皆信状せり。
 而るに日蓮は安房の国東条片海の石中の賎民が子なり威徳なく有徳のものにあらず、なににつけてか南都北嶺のとどめがたき天子の虎牙の制止に叶はざる念仏をふせぐべきとは思へども経文を亀鏡と定め天台伝教の指南を手ににぎりて建長五年より今年文永七年に至るまで十七年が間是を責めたるに日本国の念仏大体留り了ぬ眼前に是れ見えたり、又口にすてぬ人人はあれども心計りは念仏は生死をはなるる道にはあらざりけると思ふ、禅宗以て是くの如し一を以て万を知れ真言等の諸宗の誤りをだに留めん事手ににぎりておぼゆるなり、況や当世の高僧真言師等は其の智牛馬にもおとり螢火の光にもしかず只死せるものの手に弓箭をゆひつけねごとするものに物をとふが如し、手に印を結び口に真言は誦すれども其の心中には義理を弁うる事なし、結句慢心は山の如く高く欲心は海よりも深し、是は皆自ら経論の勝劣に迷ふより事起り祖師の誤りをたださざるによるなり、所詮智者は八万法蔵をも習ふべし十二部経をも学すべし、末代濁悪世の愚人は念仏等の難行易行等をば抛つて一向に法華経の題目を南無妙法蓮華経と唱え給うべし、日輪東方の空に出でさせ給へば南浮の空皆明かなり


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