日蓮大聖人御書
ネット御書
(善無畏三蔵抄)
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又善無畏三蔵法華経と大日経と大事とすべしと深理をば同ぜさせ給いしかども印と真言とは法華経は大日経に劣りけるとおぼせし僻見計りなり、其の已後の真言師等は大事の理をも法華経は劣れりと思へり、印真言は又申すに及ばず謗法の罪遥にかさみたり、閻魔の責にて墮獄の苦を延ぶべしとも見えず直に阿鼻の炎をや招くらん、大日経には本一念三千の深理なし此の理は法華経に限るべし、善無畏三蔵天台大師の法華経の深理を読み出でさせ給いしを盗み取つて大日経に入れ法華経の荘厳として説かれて候大日経の印真言を彼の経の得分と思へり、理も同じと申すは僻見なり真言印契を得分と思ふも邪見なり、譬えば人の下人の六根は主の物なるべし而るを我が財と思ふ故に多くの失出で来る、此の譬を似て諸経を解るべし劣る経に説く法門は勝れたる経の得分と成るべきなり。
 而るを日蓮は安房の国東条の郷清澄山の住人なり、幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、虚空蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、其のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗念仏宗等の大綱粗伺ひ侍りぬ、殊には建長五年の比より今文永七年に至るまで此の十六七年の間禅宗と念仏宗とを難ずる故に禅宗念仏宗の学者蜂の如く起り雲の如く集る、是をつむる事一言二言には過ぎず結句は天台真言等の学者自宗の廃立を習ひ失いて我が心と他宗に同じ在家の信をなせる事なれば彼の邪見の宗を扶けんが為に天台真言は念仏宗禅宗に等しと料簡しなして日蓮を破するなり、此れは日蓮を破する様なれども我と天台真言等を失ふ者なるべし能く能く恥ずべき事なり。
 此の諸経諸論諸宗の失を弁うる事は虚空蔵菩薩の御利生本師道善御房の御恩なるべし。亀魚すら恩を報ずる事あり何に況や人倫をや、此の恩を報ぜんが為に清澄山に於て仏法を弘め道善御房を導き奉らんと欲す、而るに此の人愚癡におはする上念仏者なり三悪道を免るべしとも見えず、而も又日蓮が教訓を用ふべき人にあらず、


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