日蓮大聖人御書
ネット御書
(四恩抄)
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争か少分の怨に依つておろかに思ひ奉るべきや、四には三宝の恩、釈迦如来無量劫の間菩薩の行を立て給いし時一切の福徳を集めて六十四分と成して功徳を身に得給へり、其の一分をば我が身に用ひ給ふ、今六十三分をば此の世界に留め置きて五濁雑乱の時非法の盛ならん時謗法の者国に充満せん時、無量の守護の善神も法味をなめずして威光勢力減ぜん時、日月光りを失ひ天竜雨をくださず地神地味を減ぜん時、草木根茎枝葉華菓薬等の七味も失せん時、十善の国王も貪瞋癡をまし父母六親に考せずしたしからざらん時、我が弟子無智無戒にして髪ばかりを剃りて守護神にも捨てられて活命のはかりごとなからん比丘比丘尼の命のささへとせんと誓ひ給へり、又果地の三分の功徳二分をば我が身に用ひ給ひ、仏の寿命百二十まで世にましますべかりしが八十にして入滅し、残る所の四十年の寿命を留め置きて我等に与へ給ふ恩をば四大海の水を硯の水とし一切の草木を焼て墨となして一切のけだものの毛を筆とし十方世界の大地を紙と定めて注し置くとも争か仏の恩を報じ奉るべき、法の恩を申さば法は諸仏の師なり諸仏の貴き事は法に依る、されば仏恩を報ぜんと思はん人は法の恩を報ずべし、次に僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す、譬えば薪なければ火無く大地無ければ草木生ずべからず、仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば正法像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず、故に大集経に云く五箇の五百歳の後に無智無戒なる沙門を失ありと云つて是を悩すは此の人仏法の大燈明を滅せんと思えと説かれたり、然れば僧の恩を報じ難し、されば三宝の恩を報じ給うべし、古の聖人は雪山童子常啼菩薩薬王大士普明王等此等は皆我が身を鬼のうちかひとなし身の血髄をうり臂をたき頭を捨て給いき、然るに末代の凡夫三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん、然るに心地観経梵網経等には仏法を学し円頓の戒を受けん人は必ず四恩を報ずべしと見えたり、某は愚癡の凡夫血肉の身なり三惑一分も断ぜず只法華経の故に罵詈毀謗せられて刀杖を加えられ流罪せられたるを以て


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