日蓮大聖人御書
ネット御書
(忘持経事)
<1.前 P0977
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所謂今の世の天台宗の学者等と持経者等との日蓮を誹謗し念仏者等を扶助する是れなり、親に背いて敵に付き刀を持ちて自を破る此等は且く之を置く。
夫れ常啼菩薩は東に向つて般若を求め善財童子は南に向いて華厳を得る雪山の小児は半偈に身を投げ楽法梵志は一偈に皮を剥ぐ、此等は皆上聖大人なり其の迹を×うるに地住に居し其の本を尋ぬれば等妙なるのみ身は八熱に入つて火坑三昧を得心は八寒に入つて清涼三昧を証し身心共に苦無し、譬えば矢を放つて虚空を射石を握つて水に投ずるが如し。
今常忍貴辺は末代の愚者にして見思未断の凡夫なり、身は俗に非ず道に非ず禿居士心は善に非ず悪に非ず羝羊のみ、然りと雖も一人の悲母堂に有り朝に出で主君に詣で夕に入て私宅に返り営む所は悲母の為め存する所は孝心のみ、而るに去月下旬の比生死の理を示さんが為に黄泉の道に趣く此に貴辺と歎いて言く齢既に九旬に及び子を留めて親の去ること次第たりと雖も倩事の心を案ずるに去つて後来る可からず何れの月日をか期せん二母国に無し今より後誰をか拝す可き、離別忍び難きの間舎利を頚に懸け足に任せて大道に出で下州より甲州に至る其の中間往復千里に及ぶ国国皆飢饉し山野に盗賊充満し宿宿粮米乏少なり我身贏弱所従亡きが若く牛馬合期せず峨峨たる大山重重として漫漫たる大河多多なり高山に登れば頭を天に×ち幽谷へ下れば足雲を踏む鳥に非れば渡り難く鹿に非れば越え難し眼眩き足冷ゆ、羅什三蔵の葱嶺役の優婆塞の大峰も只今なりと云云、然る後深洞に尋ね入りて一菴室を見る法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ、案内を触れて室に入り教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し五躰を地に投げ合掌して両眼を開き尊容を拝し歓喜身に余り心の苦み忽ち息む、我が頭は父母の頭我が足は父母の足我が十指は父母の十指我が口は父母の口なり、譬えば種子と菓子と身と影との如し教主釈尊の成道は浄飯摩耶の得道吉占師子青提女目ヲ尊者は同時の成仏なり、是の如く観ずる時
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