日蓮大聖人御書
ネット御書
(金吾殿御返事)
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雪山童子薬王菩薩の跡をおひ仙予有徳の名を後代に留めて法華涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところなり、南無妙法蓮華経。
=  十一月二十八日                            日蓮花押
%    御返事
*転重軽受法門      /文永八年十月 五十歳御作    与大田左衛門曾谷入道金原法橋

 修利槃特と申すは兄弟二人なり、一人もありしかばすりはんどくと申すなり、各各三人は又かくのごとし一人も来らせ給へば三人と存じ候なり。
 涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天三乗一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口罵詈せられ杖木瓦礫をかほるもゆへなきにはあらず過去の誹謗正法のゆへかとみへて其罪畢已と説れて候は不軽菩薩の難に値うゆへに過去の罪の滅するかとみへはんべり[是一]、又付法蔵の二十五人は仏をのぞきたてまつりては皆仏のかねて記しをき給える権者なり、其の中に第十四の提婆菩薩は外道にころされ第二十五師子尊者は檀弥栗王に頚を刎られ其の外仏陀密多竜樹菩薩なんども多くの難にあへり、又難なくして王法に御帰依いみじくて法をひろめたる人も候、これは世に悪国善国有り法に摂受折伏あるゆへかとみへはんべる、正像猶かくのごとし中国又しかなり、これは辺土なり末法の始なり、かかる事あるべしとは先にをもひさだめぬ期をこそまち候いつれ[是二]、この上の法門はいにしえ申しをき候いきめづらしからず円教の六即の位に観行即と申すは所行如所言所言如所行と云云、



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