日蓮大聖人御書
ネット御書
(曾谷入道殿許御書)
<1.前 P1032 2.次>

爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、例せば九苞淵が相馬の法には玄黄を略して駿逸を取り史陶林が講経の法には細科を捨て元意を取るが如し等、此の四大菩薩は釈尊成道の始、寂滅道場の砌にも来らず如来入滅の終りに抜提河の辺にも至らずしかのみならず霊山八年の間に進んでは迹門序正の儀式に文殊弥勒等の発起影向の諸聖衆にも列ならず、退いては本門流通の座席に観音妙音等の発誓弘経の諸大士にも交わらず、但此の一大秘法を持して本処に隠居するの後仏の滅後正像二千年の間に於て未だ一度も出現せず、所詮仏専ら末法の時に限つて此等の大士に付属せし故なり、法華経の分別功徳品に云く「悪世末法の時能く是の経を持つ者」云云、涅槃経に云く「譬えば七子の父母平等ならざるに非ず然も病者に於て心則ち偏に重きが如し」云云、法華経の薬王品に云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」云云、七子の中に上の六子は且らく之を置く第七の病子は一闡提の人五逆謗法の者末代悪世の日本国の一切衆生なり、正法一千年の前五百年には一切の声聞涅槃し了んぬ、後の五百年には他方来の菩薩大体本土に還り向い了んぬ、像法に入つての一千年には文殊観音薬王弥勒等南岳天台と誕生し傅大士行基伝教等と示現して衆生を利益す。
 今末法に入つて此等の諸大士も皆本処に隠居しぬ、其の外、閻浮守護の天神地祗も或は他方に去り或は此の土に住すれども悪国を守護せず或は法味を嘗めざれば守護の力無し、例せば法身の大士に非ざれば三悪道に入られざるが如し大苦忍び難きが故なり、而るに地涌千界の大菩薩一には娑婆世界に住すること多塵劫なり二には釈尊に随つて久遠より已来初発心の弟子なり三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり、是くの如き等の宿縁の方便諸大菩薩に超過せり。


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