日蓮大聖人御書
ネット御書
(法蓮抄)
<1.前 P1052 2.次>

数度事にあひ両度御勘気を蒙りしかば我が身の失に当るのみならず、行通人人の中にも或は御勘気或は所領をめされ或は御内を出され或は父母兄弟に捨てらる、されば付きし人も捨てはてぬ今又付く人もなし、殊に今度の御勘気には死罪に及ぶべきがいかが思はれけん佐渡の国につかはされしかば彼の国へ趣く者は死は多く生は稀なり、からくして行きつきたりしかば殺害謀叛の者よりも猶重く思はれたり、鎌倉を出でしより日日に強敵かさなるが如し、ありとある人は念仏の持者なり、野を行き山を行くにもそばひらの草木の風に随つてそよめく声も、かたきの我を責むるかとおぼゆ、やうやく国にも付きぬ北国の習なれば冬は殊に風はげしく雪ふかし衣薄く食ともし、根を移されし橘の自然にからたちとなりけるも身の上につみしられたり、栖にはおばなかるかやおひしげれる野中の三昧ばらにおちやぶれたる草堂の上は雨もり壁は風もたまらぬ傍に昼夜耳に聞く者はまくらにさゆる風の音、朝に眼に遮る者は遠近の路を埋む雪なり、現身に餓鬼道を経寒地獄に堕ちぬ、彼の蘇武が十九年の間胡国に留められて雪を食し李陵が巌窟に入つて六年蓑をきてすごしけるも我が身の上なりき。
 今適御勘気ゆりたれども鎌倉中にも且くも身をやどし迹をとどむべき処なければかかる山中の石のはざま松の下に身を隠し心を静むれども大地を食とし草木を著ざらんより外は食もなく衣も絶えぬる処にいかなる御心ねにてかくかきわけて御訪のあるやらん、知らず過去の我が父母の御神の御身に入りかはらせ給うか、又知らず大覚世尊の御めぐみにやあるらん涙こそおさへがたく候へ。
 問うて云く抑正嘉の大地震文永の大彗星を見て自他の叛逆我が朝に法華経を失う故としらせ給うゆへ如何、答えて云く此の二の天災地夭は外典三千余巻にも載せられず三墳五典史記等に記する処の大長星大地震は或は一尺二尺一丈二丈五丈六丈なりいまだ一天には見へず地震も又是くの如し、内典を以て之を勘うるに仏御入滅已後はかかる大瑞出来せず、月支には弗沙密多羅王の五天の仏法を亡し十六大国の寺塔を焼き払い


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