日蓮大聖人御書
ネット御書
(兵衛志殿御返事)
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後生のたのもしさ申すばかりなし、此れより後もいかなる事ありともすこしもたゆむ事なかれ、いよいよはりあげてせむべし、設ひ命に及ぶともすこしもひるむ事なかれ、あなかしこあなかしこ、恐恐謹言。
= 八月二十一日                    日蓮花押
%   兵衛志殿御返事
*兵衛志殿御返事   /建治元年十一月 五十四歳御作

+               於身延
 かたがたのものふ二人をもつてをくりたびて候、その心ざし弁殿の御ふみに申すげに候、さてはなによりも御ために第一の大事を申し候なり、正法像法の時は世もいまだをとろへず聖人賢人もつづき生れ候き天も人をまほり給いき、末法になり候へば人のとんよくやうやくすぎ候て主と臣と親と子と兄と弟と諍論ひまなし、まして他人は申すに及ばず、これによりて天もその国をすつれば三災七難乃至一二三四五六七の日いでて草木かれうせ小大河もつき大地はすみのごとくをこり大海はあぶらのごとくになりけつくは無間地獄より炎いでて上梵天まで火炎充満すべし、これていの事いでんとてやうやく世間はをとへ候なり、皆人のをもひて候は父には子したがひ臣は君にかなひ弟子は師にゐすべからずと云云、かしこき人もいやしき者もしれる事なり、しかれども貪欲瞋恚愚癡と申すさけにえいて主に敵し親をかろしめ師をあなづるつねにみへて候、但師と主と親とに随いてあしき事をば諌ば孝養となる事はさきの御ふみにかきつけて候いしかばつねに御らむあるべし。
 ただこのたびゑもん(右衛門)の志どのかさねて親のかんだうありとのの御前にこれにて申せしがごとく一定かんだうあるべしひやうへの志殿をぼつかなしごぜんかまへて御心へあるべしと申して候しなり今度はとのは一定をち給いぬとをぼうるなり


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