日蓮大聖人御書
ネット御書
(兵衛志殿御返事)
<1.前 P1092 2.次>

 仏になり候事は此の須弥山にはりをたてて彼の須弥山よりいとをはなちて、そのいとのすぐにわたりてはりのあなに入るよりもかたし、いわうやさかさまに大風のふきむかへたらんはいよいよかたき事ぞかし、経に云く「億億万劫より不可議に至る時に乃ち是の法華経を聞くことを得億億万劫より不可議に至る諸仏世尊時に是の経を説きたもう是の故に行者仏滅後に於て是くの如きの経を聞いて疑惑を生ずること勿れ」等云云、此の経文は法華経二十八品の中にことにめづらし、序品より法師品にいたるまで等覚已下の人天四衆八部其のかずありしかども仏は但釈迦如来一仏なり重くてかろきへんもあり、宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は殊に重きが中の重きなり、其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔涌現せり月の前に日の出でたるがごとし、又十方の諸仏は樹下に御はします十方世界の草木の上に火をともせるがごとし、此の御前にてせんせられたる文なり。
 涅槃経に云く「昔無数無量劫より来た常に苦悩を受く、一一の衆生一劫の中に積む所の骨は王舎城の毘富羅山の如く飲む所の乳汁は四海の水の如く身より出す所の血は四海の水より多く父母兄弟妻子眷属の命終に哭泣して出す所の目涙は四大海より多く、地の草木を尽くして四寸の籌と為し以て父母を数うも亦尽くすこと能わじ」云云、此の経文は仏最後に雙林の本に臥てかたり給いし御言なりもつとも心をとどむべし、無量劫より已来生ところの父母は十方世界の大地の草木を四寸に切りてあてかぞうともたるべからずと申す経文なり、此等の父母にはあひしかども法華経にはいまだあわず、されば父母はまうけやすし法華経はあひがたし、今度あひやすき父母のことばをそむきてあひがたき法華経のともにはなれずば我が身仏になるのみならずそむきしをやをもみちびきなん、例せば悉達太子は浄飯王の嫡子なり国をもゆづり位にもつけんとをぼしてすでに御位につけまいらせたりしを御心をやぶりて夜中城をにげ出でさせ給いしかば不孝の者なりとうらみさせ給いしかども仏にならせ給うてはまづ浄飯王麻耶夫人をこそみちびかせ給いしか。


<1.前 P1092 2.次>