日蓮大聖人御書
ネット御書
(四条金吾釈迦仏供養事)
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第三の国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり、止観の明静なる前代いまだきかずとかかれて候と無情仏性惑耳驚心等とのべられて候は是なり、此の法門は前代になき上後代にも又あるべからず、設ひ出来せば此の法門を偸盗せるなるべし、然るに天台以後二百余年の後善無畏金剛智不空等大日経に真言宗と申す宗をかまへて仏説の大日経等にはなかりしを法華経天台の釈を盗み入れて真言宗の肝心とし、しかも事を天竺によせて漢土日本の末学を誑惑せしかば皆人此の事を知らず一同に信伏して今に五百余年なり、然る間真言宗已前の木画の像は霊験殊勝なり真言已後の寺塔は利生うすし、事多き故に委く注さず。
 此の仏こそ生身の仏にておはしまし候へ、優填大王の木像と影顕王の木像と一分もたがうべからず、梵帝日月四天等必定して影の身に随うが如く貴辺をばまほらせ給うべし[是一]。
 御日記に云く毎年四月八日より七月十五日まで九旬が間大日天子に仕えさせ給ふ事、大日天子と申すは宮殿七宝なり其の大さは八百十六里五十一由旬なり、其の中に大日天子居し給ふ、勝無勝と申して二人の后あり左右には七曜九曜つらなり前には摩利支天女まします七宝の車を八匹の駿馬にかけて四天下を一日一夜にめぐり四州の衆生の眼目と成り給う、他の仏菩薩天子等は利生のいみじくまします事耳にこれをきくとも愚眼に未だ見えず、是は疑うべきにあらず眼前の利生なり教主釈尊にましまさずば争か是くの如くあらたなる事候べき、一乗の妙経の力にあらずんば争か眼前の奇異をば現す可き不思議に思ひ候、争か此の天の御恩をば報ずべきともとめ候に仏法以前の人人も心ある人は皆或は礼拝をまいらせ或は供養を申し皆しるしあり、又逆をなす人は皆ばつあり、今内典を以てかんがへて候に金光明経に云く「日天子及以月天子是の経を聞くが故に精気充実す」等云云、


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