日蓮大聖人御書
ネット御書
(四条金吾釈迦仏供養事)
<1.前 P1147 2.次>

いまだ此の事にあはざりし時よりかかる事あるべしと知りしかば今更いかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずとをもい候へば、此の心のいのりとなりて候やらんそこばくのなんをのがれて候、いまは事なきやうになりて候、日蓮がさどの国にてもかつえしなず又これまで山中にして法華経をよみまいらせ候はたれかたすけんひとへにとのの御たすけなり又殿の御たすけはなにゆへぞとたづぬれば入道殿の御故ぞかし、あらわにはしろしめさねども定めて御いのりともなるらんかうあるならばかへりて又とのの御いのりとなるべし父母の孝養も又彼の人の御恩ぞかし、かかる人の御内を如何なる事有ればとてすてさせ給うべきやかれより度度すてられんずらんはいかがすべき又いかなる命になる事なりともすてまいらせ給うべからず、上にひきぬる経文に不知恩の者は横死有と見えぬ孝養の者は又横死有る可からず、鵜と申す鳥の食する鉄はとくれども腹の中の子はとけず、石を食する魚あり又腹の中の子はしなず、栴檀の木は火に焼けず浄居の火は水に消へず仏の御身をば三十二人の力士火をつけしかどもやけず、仏の御身よりいでし火は三界の竜神雨をふらして消しかどもきえず、殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり悪人にやぶらるる事かたし、もしやの事あらば先生に法華経の行者をあだみたりけるが今生にむくふなるべし、此の事は如何なる山の中海の上にてものがれがたし、不軽菩薩の杖木の責も目ヲ尊者の竹杖に殺されしも是なり、なにしにか歎かせ給うべき。
 但し横難をば忍にはしかじと見へて候此の文御覧ありて後はけつして百日が間をぼろげならではどうれい並に他人と我が宅ならで夜中の御さかもりあるべからず主の召さん時は昼ならばいそぎ参らせ給うべし、夜ならば三度までは頓病の由を申させ給いて三度にすぎば下人又他人をかたらひてつじを見せなんどして御出仕あるべし、かうつつしませ給はんほどにむこの人もよせなんどし候はば人の心又さきにひきかへ候べし、かたきをうつ心とどまるべしと申させ給う事は御あやまちありとも左右なく御内を出でさせ給うべからず、


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