日蓮大聖人御書
ネット御書
(四条金吾殿御返事)
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 このうへはたとひ一分の御恩なくともうらみまいらせ給うべき主にはあらず、それにかさねたる御恩を申し所領をきらはせ給う事御とがにあらずや、賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利衰毀誉称譏苦楽なり、をを心は利あるによろこばずをとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなりしかるをひりに主をうらみなんどし候へばいかに申せども天まほり給う事なし、訴訟を申せど叶いぬべき事もあり、申さぬに叶うべきを申せば叶わぬ事も候、夜めぐりの殿原の訴訟は申すは叶いぬべきよしをかんがへて候しにあながちになげかれし上日蓮がゆへにめされて候へばいかでか不便に候はざるべき、ただし訴訟だにも申し給はずばいのりてみ候はんと申せしかば、さうけ給わり候いぬと約束ありて又をりかみをしきりにかき人人訴訟ろんなんどありと申せし時に此の訴訟よも叶わじとをもひ候いしがいままでのびて候。
 だいがくどのゑもんのたいうどの(大学殿衛門大夫殿)の事どもは申すままにて候あいだいのり叶いたるやうにみえて候、はきり(波木井)どのの事は法門の御信用あるやうに候へども此の訴訟は申すままには御用いなかりしかばいかんがと存じて候いしほどにさりとてはと申して候いしゆへにや候けんすこししるし候か、これにをもうほどなかりしゆへに又をもうほどなし、だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし、又だんなと師とをもひあひて候へども大法を小法をもつてをかしてとしひさしき人人の御いのりは叶い候はぬ上、我が身もだんなもほろび候なり。
 天台の座主明雲と申せし人は第五十代の座主なり、去ぬる安元二年五月に院勘をかほりて伊豆国へ配流山僧大津よりうばいかへす、しかれども又かへりて座主となりぬ


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