日蓮大聖人御書
ネット御書
(頼基陳状)
<1.前 P1160 2.次>

阿闍世王は提婆六師を師として教主釈尊を敵とせしかば摩竭提国皆仏教の敵となりて闍王の眷属五十八万人仏弟子を敵とする中に耆婆大臣計り仏の弟子なり、大王は上の頼基を思し食すが如く仏弟子たる事を御心よからず思し食ししかども最後には六大臣の邪義をすてて耆婆が正法にこそつかせ給い候しが其の如く御最後をば頼基や救い参らせ候はんずらむ此の如く申さしめ候へば阿闍世は五逆罪の者なり彼に対するかと思し食しぬべし、恐れにては候へども彼には百千万倍の重罪にて御座すべしと御経の文には顕然に見えさせ給いて候、所謂「今此の三界は皆是れ我有なり其中の衆生は悉く是れ吾子なり」文文の如くば教主釈尊は日本国の一切衆生の父母なり師匠なり主君なり阿弥陀仏は此の三の義ましまさず、而るに三徳の仏を閣いて他仏を昼夜朝夕に称名し六万八万の名号を唱えましますあに不孝の御所作にわたらせ給はずや、弥陀の願も釈迦如来の説かせ給いしかども終にくひ返し給いて唯我一人と定め給いぬ、其の後は全く二人三人と見え候はず、随つて人にも父母二人なし何の経に弥陀は此の国の父何れの論に母たる旨見へて候観経等の念仏の法門は法華経を説かせ給はむ為のしばらくのしつらひなり、塔くまむ為の足代の如し、而るを仏法なれば始終あるべしと思う人大僻案なり、塔立てて後足代を貴ぶほどのはかなき者なり、又日よりも星は明と申す者なるべし、此の人を経に説いて云く「復教詔すと雖も而も信受せず其の人命終して阿鼻獄に入らん」、当世日本国の一切衆生の釈迦仏を抛つて阿弥陀仏を念じ法華経を抛つて観経等を信ずる人或は此くの如き謗法の者を供養せむ俗男俗女等存外に五逆七逆八虐の罪ををかせる者を智者と竭仰する諸の大名僧並びに国主等なり、如是展転至無数劫とは是なり、此の如き僻事をなまじゐに承りて候間次を以て申せしめ候、宮仕をつかまつる者上下ありと申せども分分に随つて主君を重んぜざるは候はず、上の御ため現世後生あしくわたらせ給うべき事を秘かにも承りて候はむに傍輩世に憚りて申し上ざらむは与同罪にこそ候まじきか。


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