日蓮大聖人御書
ネット御書
(崇峻天皇御書)
<1.前 P1172 2.次>

返す返す御心への上なれども末代のありさまを仏の説かせ給いて候には濁世には聖人も居しがたし大火の中の石の如し、且くはこらふるやうなれども終にはやけくだけて灰となる、賢人も五常は口に説きて身には振舞いがたしと見へて候ぞ、かうの座をば去れと申すぞかし、そこばくの人の殿を造り落さんとしつるにをとされずしてはやかちぬる身が穏便ならずして造り落されなば世間に申すこぎこひでの船こぼれ又食の後に湯の無きが如し、上よりへやを給いて居してをはせば其処にては何事無くとも日ぐれ暁なんど入り返りなんどに定めてねらうらん、又我が家の妻戸の脇持仏堂家の内の板敷の下か天井なんどをば、あながちに心えて振舞い給へ、今度はさきよりも彼等はたばかり賢かるらん、いかに申すとも鎌倉のえがら夜廻りの殿原にはすぎじ、いかに心にあはぬ事有りともかたらひ給へ。
 義経はいかにも平家をばせめおとしがたかりしかども成良をかたらひて平家をほろぼし、大将殿はおさだを親のかたきとをぼせしかども平家を落さざりしには頚を切り給はず、況や此の四人は遠くは法華経のゆへ近くは日蓮がゆへに命を懸けたるやしきを上へ召されたり、日蓮と法華経とを信ずる人人をば前前彼の人人いかなる事ありともかへりみ給うべし、其の上殿の家へ此の人人常にかようならばかたきはよる行きあはじとをぢるべし、させる親のかたきならねば顕われてとはよも思はじ、かくれん者は是れ程の兵士はなきなり、常にむつばせ給へ、殿は腹悪き人にてよも用ひさせ給はじ、若しさるならば日蓮が祈りの力及びがたし、竜象と殿の兄とは殿の御ためにはあしかりつる人ぞかし天の御計いに殿の御心の如くなるぞかしいかに天の御心に背かんとはをぼするぞ設い千万の財をみちたりとも上にすてられまいらせ給いては何の詮かあるべき已に上にはをやの様に思はれまいらせ水の器に随うが如くこうしの母を思ひ老者の杖をたのむが如く主のとのを思食されたるは法華経の御たすけにあらずや、あらうらやましやとこそ御内の人人は思はるるらめ


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