日蓮大聖人御書
ネット御書
(日女御前御返事)
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今日本国の者去年今年の疫病と去正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に並なき疫病なり、聖人の国にあるをあだむゆへと見えたり、師子を吼る犬は腸切れ日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり、日本国の一切衆生すでに三分が二はやみぬ又半分は死しぬ今一分は身はやまざれども心はやみぬ、又頭も顕にも冥にも破ぬらん、罰に四あり総罰別罰冥罰顕罰なり、聖人をあだめは総罰一国にわたる又四天下又六欲四禅にわたる、賢人をあだめば但敵人等なり、今日本国の疫病は総罰なり定めて聖人の国にあるをあだむか、山は玉をいだけば草木かれず国に聖人あれば其の国やぶれず、山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず、国のやぶるるは聖人をあだむ故とも愚人は弁へざるか。
 設ひ日月の光ありとも盲目のために用ゆる事なし、設ひ声ありとも耳しひのためになにの用かあるべき、日本国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし、此の一切の眼と耳とをくじりて一切の眼をあけ一切の耳に物をきかせんはいか程の功徳かあるべき、誰の人か此の功徳をば計るべき、設ひ父母子をうみて眼耳有りとも物を教ゆる師なくば畜生の眼耳にてこそあらましか、日本国の一切衆生は十方の中には西方の一方一切の仏の中には阿弥陀仏一切の行の中には弥陀の名号此の三を本として余行をば兼ねたる人もあり一向なる人もありしに、某去ぬる建長五年より今に至るまで二十余年の間遠くは一代聖教の勝劣先後浅深を立て近くは弥陀念仏と法華経の題目との高下を立て申す程に上一人より下万民に至るまで此の事を用ひず、或は師師に問い或は主主に訴へ或は傍輩にかたり或は我が身の妻子眷属に申す程に、国国郡郡郷郷村村寺寺社社に沙汰ある程に、人ごとに日蓮が名を知り法華経を念仏に対して念仏のいみじき様法華経の叶ひがたき事諸人のいみじき様日蓮わろき様を申す程に上もあだみ下も悪む日本一同に法華経と行者との大怨敵となりぬ、かう申せば日本国の人人並に日蓮が方の中にも物におばえぬ者は人に信ぜられんとあらぬ事を云うと思へり、此は仏法の道理を信じたる男女に知らせんれうに申す、各各の心にまかせ給うべし。


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