日蓮大聖人御書
ネット御書
(妙一女御返事)
<1.前 P1258 2.次>

然るを当時叡山の人人法華経の即身成仏のやうを申すやうなれども慈覚大師安然等の即身成仏の義なり、彼の人人の即身成仏は有名無実の即身成仏なり其の義専ら伝教大師の義に相違せり、教大師は分段の身を捨てても捨てずしても法華経の心にては即身成仏なり、覚大師の義は分段の身をすつれば即身成仏にあらずとをもはれたるがあへて即身成仏の義をしらざる人人なり。
 求めて云く慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり汝は四百余年の年紀をへだてたり如何、答えて云く師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたづねあきらめたる人をろそかならば経文をすてて四依の菩薩につくべきか、父母の譲り状をすてて口伝を用ゆべきか、伝教大師の御釈無用なり慈覚大師の口伝真実なるべきか、伝教大師の秀句と申す御文に一切経になき事を十いだされて候に第八に即身成仏化導勝とかかれて次下に「当に知るべし此の文成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり、乃至当に知るべし他宗所依の経には都て即身入無し」等云云、此の釈を背きて覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゆべきか。
 求めて云く教大師の釈の中に菩提心論の唯の字を用いざる釈有りや不や、答えて云く秀句に云く「能化所化倶に歴劫無く妙法経力即身成仏す」等云云、此の釈は菩提心論の唯の字を用いずと見へて候、問うて云く菩提心論を用いざるは竜樹を用いざるか答えて云く但恐くは訳者の曲会私情の心なり、疑つて云く訳者を用いざれば法華経の羅什をも用ゆ可からざるか、答えて云く羅什には現証あり不空には現証なし、問うて云く其の証如何、答えて云く舌の焼けざる証なり具には聞くべし、求めて云く覚証等は此の事を知らざるか、答えて云く此の両人は無畏等の三蔵を信ずる故に伝教大師の正義を用いざるか、此れ則ち人を信じて法をすてたる人人なり。
 問うて云く日本国にいまだ覚証然等を破したる人をきかず如何、答えて云く弘法大師の門家は覚証を用ゆべしや覚証の門家は弘法大師を用ゆべしや。


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