日蓮大聖人御書
ネット御書
(波木井三郎殿御返事)
<1.前 P1371 2.次>

是等の魔寺は比叡山等の法華天台等の仏寺を破せん為に出来するなり、納衣持律等とは当世の五七九の袈裟を着たる持斎等なり、為世所恭敬是大菩薩とは道隆良観聖一等なり、世と云うは当世の国主等なり、有諸無智人諸凡夫人等とは日本国中の上下万人なり、日蓮凡夫たる故に仏教を信ぜず但し此の事に於ては水火の如く手に当てて之を知れり、但し法華経の行者有らば悪口罵詈刀杖擯出等せらる可し云云、此の経文を以て世間に配当するに一人も之れ無し誰を以てか法華経の行者と為さん敵人は有りと雖も法華経の持者は無し、譬えば東有つて西無く天有つて地無きが如し仏語妄説と成るを如何、予自讃に似たりと雖も之を勘え出して仏語を扶持す所謂日蓮法師是なり、其の上仏不軽品に自身の過去の現証を引いて云く爾の時に一りの菩薩有り常不軽と名く等云云、又云く悪口罵詈等せらる、又云く或は杖木瓦石を以て之を打擲す等云云、釈尊我が因位の所行を引き載せて末法の始を勧励したもう不軽菩薩既に法華経の為に杖木を蒙りて忽に妙覚の極位に登らせたまいぬ、日蓮此の経の故に現身に刀杖を被むり二度遠流に当る当来の妙果之を疑う可しや、如来の滅後に四依の大士正像に出世して此の経を弘通したもうの時にすら猶留難多し、所謂付法蔵第二十の提婆菩薩第二十五の師子尊者等或は命を断たれ頚を刎らる、第八の仏駄密多第十三の竜樹菩薩等は赤き旛を捧げ持ちて七年十二年王の門前に立てり、竺の道生は蘇山に流され法祖は害を加えられ法道三蔵は面に火印を捺され、慧遠法師は呵責せられ天台大師は南北の十師に対当し、伝教大師は六宗の邪見を破す、此等は皆王の賢愚に当るに依つて用取有るのみ敢て仏意に叶わざるに非ず正像猶以て是くの如し何に況や末法に及ぶにおいてをや、既に法華経の為に御勘気を蒙れば幸の中の幸なり瓦礫を以て金銀に易ゆるとは是なり、但し歎くらくは仁王経に云く「聖人去る時七難必ず起る」等云云、七難とは所謂大旱魃大兵乱等是なり、最勝王経に云く「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に星宿及び風雨皆時を以て行われず」等云云、愛悪人とは誰人ぞや上に挙ぐる所の諸人なり治罰善人とは誰人ぞや上に挙ぐる所の数数見擯出の者なり、星宿とは此の二十余年の天変地夭等是なり、


<1.前 P1371 2.次>