日蓮大聖人御書
ネット御書
(妙法比丘尼御返事)
<1.前 P1410 2.次>

其の上ことに法華経と釈迦仏を捨てまいらせよとすすめしかばやすきままに案もなくばらばらと付き候ぬ、一人付き始めしかば万人皆付き候いぬ、万人付きしかば上は国主中は大臣下は万民一人も残る事なし、さる程に此の国存の外に釈迦仏法華経の御敵人となりぬ。
 其故は「今此三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此処は諸の患難多し唯我れ一人のみ能く救護を為す」と説いて、此の日本国の一切衆生のためには釈迦仏は主なり師なり親なり、天神七代地神五代人王九十代の神と王とすら猶釈迦仏の所従なり、何かに況や其の神と王との眷属等をや、今日本国の大地山河大海草木等は皆釈尊の御財ぞかし、全く一分も薬師仏阿弥陀仏等の他仏の物にはあらず、又日本国の天神地神九十余代の国主並に万民牛馬生と生る生ある者は皆教主釈尊の一子なり、又日本国の天神地神諸王万民等の天地水火父母主君男女妻子黒白等を弁え給うは皆教主釈尊御教の師なり、全く薬師阿弥陀等の御教にはあらず、されば此の仏は我等がためには大地よりも厚く虚空よりも広く天よりも高き御恩まします仏ぞかし、かかる仏なれば王臣万民倶に人ごとに父母よりも重んじ神よりもあがめ奉るべし、かくだにも候はば何なる大科有りとも天も守護してよもすて給はじ地もいかり給うべからず。
 然るに上一人より下万人に至るまで阿弥陀堂を立て阿弥陀仏を本尊ともてなす故に天地の御いかりあるかと見え候、譬えば此の国の者が漢土高麗等の諸国の王に心よせなりとも、此の国の王に背き候なば其の身はたもちがたかるべし、今日本国の一切衆生も是くの如し、西方の国主阿弥陀仏には心よせなれども我国主釈迦仏に背き奉る故に此の国の守護神いかり給うかと愚案に勘へ候、而るを此の国の人人阿弥陀仏を或は金或は銀或は銅或は木画等に志を尽くし仏事をなし、法華経と釈迦仏をば或は墨画或は木像にはくをひかず或は草堂に造りなんどす、例せば他人をば志を重ね妻子をばもてなして父母におろかなるが如し。


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