日蓮大聖人御書
ネット御書
(三三蔵祈雨事)
<1.前 P1470 2.次>

 去る弘仁九年の春大旱魃ありき嵯峨の天王真綱と申す臣下をもつて冬嗣のとり申されしかば法華経金光明経仁王経をもつて伝教大師祈雨ありき、三日と申せし日ほそきくもほそきあめしづしづと下りしかば天子あまりによろこばせ給いて、日本第一のかたことたりし大乗の戒壇はゆるされしなり、伝教大師の御師護命と申せし聖人は南都第一の僧なり、四十人の御弟子あいぐして仁王経をもつて祈雨ありしが五日と申せしに雨下りぬ、五日はいみじき事なれども三日にはをとりて而も雨あらかりしかばまけにならせ給いぬ、此れをもつて弘法の雨をばすひせさせ給うべし、かく法華経はめでたく真言はをろかに候に日本のほろぶべきにや一向真言にてあるなり、隠岐の法王の事をもつてをもうに真言をもつて蒙古とえぞとをでうぶくせば日本国やまけんずらんとすひせしゆへに此の事いのちをすてていゐてみんとをもひしなり、いゐし時はでしら(弟子等)せいせしかどもいまはあひぬれば心よかるべきにや、漢土日本の智者五百余年の間一人もしらぬ事をかんがへて候なり、善無畏金剛智不空等の祈雨に雨は下りて而も大風のそひ候はいかにか心へさせ給うべき、外道の法なれどもいうにかひなき道士の法にも雨下る事あり、まして仏法は小乗なりとも法のごとく行うならばいかでか雨下らざるべき、いわうや大日経は華厳般若にこそをよばねども阿含にはすこしまさりて候ぞかし、いかでかいのらんに雨下らざるべきされば雨は下りて候へども大風のそいぬるは大なる僻事のかの法の中にまじわれるなるべし、弘法大師の三七日に雨下らずして候を天子の雨を我が雨と申すは又善無畏等よりも大にまさる失のあるなり。
 第一の大妄語には弘法大師の自筆に云く、「弘仁九年の春疫れいをいのりてありしかば夜中に日いでたり」と云云、かかるそらごとをいう人なり、此の事は日蓮が門家第一の秘事なり本文をとりつめていうべし、仏法はさてをきぬ上にかきぬる事天下第一の大事なり、つてにをほせあるべからず御心ざしのいたりて候へばをどろかしまいらせ候、日蓮をばいかんがあるべかるらんとをぼつかなしとをぼしめすべきゆへにかかる事ども候、


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