日蓮大聖人御書
ネット御書
(薬王品得意抄)
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何に況や一の星月の光に及ぶ可きや、華厳経阿含経方等般若涅槃経大日経観経等の一切の経之を集むとも法華経の一字に及ばじ、一切衆生の心中の見思塵沙無明の三惑並に十悪五逆等の業は暗夜のごとし華厳経等の一切経は闇夜の星のごとし法華経は闇夜の月のごとし法華経を信ずれども深く信ぜざる者は半月の闇夜を照すが如し深く信ずる者は満月の闇夜を照すが如し月無くして但星のみ有る夜には強力の者かたましき者なんどは行歩すといへども老骨の者女人なむどは行歩に叶わず、満月の時は女人老骨なむども、或は遊宴のため或は人に値わんが如き行歩自在なり、諸経には菩薩大根性の凡夫は設い得道なるとも二乗凡夫悪人女人乃至末代の老骨の懈怠無戒の人人は往生成仏不定なり、法華経は爾らず、二乗悪人女人等猶仏に成る何に況や菩薩大根性の凡夫をや、又月はよいよりも暁は光まさり春夏よりも秋冬は光あり、法華経は正像二千年よりも末法には殊に利生有る可きなり、問うて云く証文如何答えて云く道理顕然なり、其の上次ぎ下の文に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無し」等云云、此の経文に二千年の後南閻浮提に広宣流布すべしととかれて候は第三の月の譬の意なり、此の意を根本伝教大師釈して云く「正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等云云、正法千年も像法千年も法華経の利益諸経に之れ勝る可し然りと雖も月の光の春夏の正像二千年末法の秋冬に至つて光の勝るが如し。
 第四に日の譬は星の中に月の出でたるは星の光には月の光は勝るとも未だ星の光を消さず、日中には星の光消ゆるのみに非ず又月の光も奪いて光を失う、爾前は星の如く法華経の迹門は月の如し寿量品は日の如し、寿量品の時は迹門の月未だ及ばず何に況や爾前の星をや、夜は星の時月の時も衆務を作さず、夜暁て必ず衆務を作す、爾前迹門にして猶生死を離れ難し本門寿量品に至つて必ず生死を離る可し、余の六譬之を略す、此の外に又多くの譬此の品に有り、其の中に渡りに船を得たるが如しと此の譬の意は生死の大海には爾前の経は或は筏或は小船なり、


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