日蓮大聖人御書
ネット御書
(富士一跡門徒存知の事)
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而るに去る永仁年中新堂を造立し一躰仏を安置するの刻み、日興が許に来臨して所立の義を難ず、聞き已つて自義と為し候処に正安二年民部阿闍梨彼の新堂並びに一躰仏を開眼供養す、爰に日澄本師民部阿闍梨と永く義絶せしめ日興に帰伏して弟子と為る、此の仁盗み取つて自義と為すと雖も後改悔帰伏の者なり、 一、去る永仁年中越後国に摩訶一と云う者有り[天台宗の学匠なり]日興が義を盗み取つて盛んに越後国に弘通するの由之を聞く。
 一、去る正安年中以来浄法房天目と云う者有り[聖人に値い奉る]日興が義を盗み取り鎌倉に於て之を弘通す、又祖師の添加を蔑如す。
 一、弁阿闍梨の弟子少輔房日高去る嘉元年中以来日興が義を盗み取つて下総の国に於て盛んに弘通す。
 一、伊予阿闍梨の下総国真間の堂は一躰仏なり、而るに去る年月日興が義を盗み取つて四脇士を副う彼の菩薩の像は宝冠形なり。
 一、民部阿闍梨も同く四脇士を造り副う、彼の菩薩像は比丘形にして納衣を著す、又近年以来諸神に詣ずる事を留むるの由聞くなり。
 一、甲斐国に肥前房日伝と云う者有り[寂日房向背の弟子なり]日興が義を盗み取つて甲斐国に於て盛んに此の義を弘通す是れ又四脇士を造り副う彼の菩薩の像は身皆金色剃髪の比丘形なり、又神詣を留むるの由之を聞く。
 一、諸方に聖人の御書之を読む由の事。
 此の書札の抄別状有り之を見るべし。


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