日蓮大聖人御書
ネット御書
(呵責謗法滅罪抄)
<1.前 P1129 2.次>

蜘蛛かかつて喜事来り跛F鳴いて客人来ると申して小事すら験先に現ず何に況や大事をや、されば法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり、故に天台の云く「雨の猛きを見ては竜の大きなる事を知り華の盛なるを見ては池の深き事を知る」と書かれて候、妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を知る」と云云、今日蓮も之を推して智人の一分とならん、去る正嘉元年[太歳丁巳]八月二十三日戌亥の刻の大地震と、文永元年[太歳甲子]七月四日の大彗星、此等は仏滅後二千二百余年の間未だ出現せざる大瑞なり、此の大菩薩の此の大法を持ちて出現し給うべき先瑞なるか、尺の池には丈の浪たたず驢吟ずるに風鳴らず、日本国の政事乱れ万民歎くに依つては此の大瑞現じがたし、誰か知らん法華経の滅不滅の大瑞なりと。
 二千余年の間悪王の万人に繧轤驍髢d叛の者の誰人にあだまるる等日蓮が失もなきに高きにも下きにも罵詈毀辱刀杖瓦礫等ひまなき事二十余年なり、唯事にはあらず過去の不軽菩薩の威音王仏の末に多年の間罵詈せられしに相似たり、而も仏彼の例を引いて云く我が滅後の末法にも然るべし等と記せられて候に近くは日本遠くは漢土等にも法華経の故にかかる事有りとは未だ聞かず人は悪んで是を云はず、我と是を云はば自讃に似たり、云わずば仏語を空くなす過あり、身を軽んじて法を重んずるは賢人にて候なれば申す、日蓮は彼の不軽菩薩に似たり、国王の父母を殺すも民が考妣を害するも上下異なれども一因なれば無間におつ、日蓮と不軽菩薩とは位の上下はあれども同業なれば彼の不軽菩薩成仏し給はば日蓮が仏果疑うべきや、彼は二百五十戒の上慢の比丘に罵られたり、日蓮は持戒第一の良観に讒訴せられたり、彼は帰依せしかども千劫阿鼻獄におつ、此れは未だ渇仰せず知らず無数劫をや経んずらん不便なり不便なり。
 疑つて云く正嘉の大地震等の事は去る文応元年[太歳庚甲]七月十六日宿屋の入道に付けて故最明寺入道殿へ奉る所の勘文立正安国論には法然が選択に付いて日本国の仏法を失ふ故に天地瞋をなし


<1.前 P1129 2.次>