日蓮大聖人御書
ネット御書
(五人所破抄)
<1.前 P1611 2.次>

 天台法華宗の沙門日向日頂謹んで言上す。
 桓武聖代の古風を扇ぎ伝教大師の余流を汲み立正安国論に准じて法華一乗を崇められんことを請うの状。
 右謹んで旧規を検えたるに祖師伝教大師は延暦年中に始めて叡山に登り法華宗を弘通したもう云云。
 又云く法華の道場に擬して天長地久を祈り今に断絶すること無し[ 詮を取る] 。
 日興公家に奏し武家に訴えて云く。
 日蓮聖人は忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり、所謂大覚世尊未来の時機を鑒みたまい世を三時に分ち法を四依に付して以来、正法千年の内には迦葉阿難等の聖者先ず小を弘めて大を略す竜樹天親等の論師は次に小を破りて大を立つ、像法千年の間異域には則ち陳隋両主の明時に智者は十師の邪義を破る、本朝には亦桓武天皇の聖代に伝教は六宗の僻論を改む、今末法に入つては上行出世の境本門流布の時なり正像已に過ぎぬ何ぞ爾前迹門を以て強いて御帰依有る可けんや、就中天台伝教は像法の時に当つて演説し日蓮聖人は末法の代を迎えて恢弘す、彼は薬王の後身此れは上行の再誕なり経文に載する所解釈炳焉たる者なり。
 凡そ一代教籍の濫觴は法華の中道を解かんが為三国伝持の流布は盍ぞ真実の本門を先とせざらんや、若し瓦礫を貴んで珠玉を棄て燭影を捧げて日光を哢せば只風俗の迷妄に趁いて世尊の化導を謗ずるに似るか、華の中に優曇有り木の中に栴檀有り凡慮覃び難し併ながら冥鑑に任す云云、本と迹と既に水火を隔て時と機と亦天地の如し、何ぞ地涌の菩薩を指して苟も天台の末弟と称せんや。
 次に祈国の段亦以て不審なり、所以は何ん文永免許の古先師素意の分既に以て顕れ畢んぬ、何ぞ僭聖道門の怨敵に交り坐して鎮に天長地久の御願を祈らんや、況や三災弥起り一分も徴し無し啻に祖師の本懐に違するのみにあらず還つて己身の面目を失うの謂いか。


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