日蓮大聖人御書
ネット御書
(富城入道殿御返事)
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或は一丁或は二丁三丁渡る様なりと雖も彼の岸に付く者は一人も無し、然る間緋綴赤綴等の甲其の外弓箭兵杖白星の冑等の河中に流れ浮ぶ事は猶長月神無月の紅葉の吉野立田の河に浮ぶが如くなり、爰に叡山東寺七寺園城寺等の高僧等之を聞くことを得て真言の秘法大法の験とこそ悦び給いける、内裏の紫宸殿には山の座主東寺御室五壇十五壇の法を弥盛んに行われければ法皇の御叡感極り無く玉の厳を地に付け大法師等の御足を御手にて摩給いしかば大臣公卿等は庭の上へ走り落ち五体を地に付け高僧等を敬い奉る。
 又宇治勢田にむかへたる公卿殿上人は冑を震い挙げて大音声を放つて云く義時所従の毛人等慥に承われ昔より今に至るまで王法に敵を作し奉る者は何者か安穏なるや、狗犬が師子を吼えて其の腹破れざること無く修羅が日月を射るに其の箭還つて其の眼に中らざること無し遠き例は且く之を置く、近くは我が朝に代始まつて人王八十余代の間大山の皇子大石の小丸を始と為て二十余人王法に敵を為し奉れども一人として素懐を遂げたる者なし皆頚を獄門に懸けられ骸を山野に曝す関東の武士等或は源平或は高家等先祖相伝の君を捨て奉り伊豆の国の民為る義時が下知に随う故にかかる災難は出来するなり、王法に背き奉り民の下知に随う者は師子王が野狐に乗せられて東西南北に馳走するが如し今生の恥之れを何如、急ぎ急ぎ冑を脱ぎ弓弦をはづして参参と招きける程に、何に有りけん申酉の時にも成りしかば関東の武士等河を馳せ渡り勝ちかかりて責めし間京方の武者共一人も無く山林に逃げ隠るるの間、四つの王をば四つの島へ放ちまいらせ又高僧御師御房達は或は住房を追われ或は恥辱に値い給いて今に六十年の間いまだそのはぢをすすがずとこそ見え候に、今亦彼の僧侶の御弟子達御祈祷承はられて候げに候あひだいつもの事なれば秋風に纔の水に敵船賊船なんどの破損仕りて候を大将軍生取たりなんど申し祈り成就の由を申し候げに候なり、又蒙古の大王の頚の参りて候かと問い給うべし、其の外はいかに申し候とも御返事あるべからず御存知のためにあらあら申し候なり。


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