日蓮大聖人御書
ネット御書
(崇峻天皇御書)
<1.前 P1171 2.次>

妄心即滅して法身顕現す」弥勒菩薩の瑜伽論には見えたり、かくれたる事のあらはれたる徳となり候なり、されば御内の人人には天魔ついて前より此の事を知りて殿の此の法門を供養するをささえんがために今度の大妄語をば造り出だしたりしを御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがために此の病はをこれるか、上は我がかたきとはをぼさねども一たんかれらが申す事を用い給いぬるによりて御しよらうの大事になりてながしらせ給うか、彼等が柱とたのむ竜象すでにたうれぬ、和讒せし人も又其の病にをかされぬ、良観は又一重の大科の者なれば大事に値うて大事をひきをこしていかにもなり候はんずらん、よもただは候はじ。
 此れにつけても殿の御身もあぶなく思いまいらせ候ぞ、一定かたきにねらはれさせ給いなんすぐろくの石は二つ並びぬればかけられず車の輪は二あれば道にかたぶかず、敵も二人ある者をばいぶせがり候ぞ、いかにとがありとも弟ども且くも身をはなち給うな、殿は一定腹あしき相かをに顕れたり、いかに大事と思へども腹あしき者をば天は守らせ給はぬと知らせ給へ殿の人にあだまれてをはさば設い仏にはなり給うとも彼等が悦びと云う、此れよりの歎きと申し口惜しかるべし、彼等がいかにもせんとはげみつるに、古よりも上に引き付けられまいらせてをはすれば外のすがたはしづまりたる様にあれども内の胸はもふる計りにや有らん、常には彼等に見へぬ様にて古よりも家のこを敬ひきうだちまいらせ給いてをはさんには上の召しありとも且くつつしむべし、入道殿いかにもならせ給はば彼の人人はまどひ者になるべきをばかへりみず、物をぼへぬ心にとののいよいよ来るを見ては一定ほのをを胸にたきいきをさかさまにつくらん、若しきうだちきり者の女房たちいかに上の御そろうはと問い申されば、いかなる人にても候へ膝をかがめて手を合せ某が力の及ぶべき御所労には候はず候をいかに辞退申せどもただと仰せ候へば御内の者にて候間かくて候とてびむをもかかずひたたれこはからず、さはやかなる小袖色ある物なんどもきずして且くねうじて御覧あれ。


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