日蓮大聖人御書
ネット御書
(松野殿御返事)
<1.前 P1386 2.次>

一切の天人又来りて善哉善哉実に是れ菩薩なりと讃め給ふ、半偈の為めに身を投げて十二劫生死の罪を滅し給へり此の事涅槃経に見えたり、然れば雪山童子の古を思へば半偈の為に猶命を捨て給ふ、何に況や此の経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや何を以てか此れを報ぜん、尤も後生を願はんには彼の雪山童子の如くこそあらまほしくは候へ、誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば我が身命を捨て仏法を得べき便あらば身命を捨てて仏法を学すべし。
 とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし、受けがたき人身を得て適ま出家せる者も仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし恐るべし、迹門には「我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」ととき本門には「自ら身命を惜まず」ととき涅槃経には「身は軽く法は重し身を死して法を弘む」と見えたり、本迹両門涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり、此等の禁を背く重罪は目には見えざれども積りて地獄に堕つる事譬ば寒熱の姿形もなく眼には見えざれども、冬は寒来りて草木人畜をせめ夏は熱来りて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。
 然るに在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱えありて僧をも供養し給うが肝心にて候なり、それも経文の如くならば随力演説も有るべきか、世の中ものうからん時も今生の苦さへかなしし、況や来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢霊山浄土の悦びこそ実の悦びなれと思し食し合せて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、


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