日蓮大聖人御書
ネット御書
(一念三千法門)
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法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し、譬えば春夏田を作るに早晩あれども一年の中には必ず之を納む、法華の行者も上中下根あれども必ず一生の中に証得す、玄の一に云く「上中下根皆記を与う」と云云、観心計りにて成仏せんと思ふ人は一方かけたる人なり、況や教外別伝の坐禅をや、法師品に云く「薬王多く人有て在家出家の菩薩の道を行ぜんに若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能わずんば当に知るべし是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜず、若し是の経典を聞くこと得ること有らば乃ち能善菩薩の道を行ずるなり」と云云、観心計りにて成仏すべくんば争か見聞読誦と云わんや、此の経は専ら聞を以て本と為す凡此の経は悪人女人二乗闡提を簡ばず故に皆成仏道とも云ひ又平等大慧とも云う、善悪不二邪正一如と聞く処にやがて内証成仏す故に即身成仏と申し一生に証得するが故に一生妙覚と云ふ、義を知らざる人なれども唱ふれば唯仏と仏と悦び給ふ我即歓喜諸仏亦然云云、百千合せたる薬も口にのまざれば病愈えず蔵に宝を持ども開く事をしらずしてかつへ懐に薬を持ても飲まん事をしらずして死するが如し、如意宝珠と云う玉は五百弟子品の此の経の徳も又此くの如し、観心を並べて読めば申すに及ばず観念せずと雖も始に申しつるごとく所謂諸法如是相如云云と読む時は如は空の義なれば我が身の先業にうくる所の相性体力其の具する所の八十八使の見惑八十一品の思惑其の空は報身如来なり、所謂諸法如是相云云とよめば是れ仮の義なれば我が此の身先業に依つて受けたる相性体力云云其の具したる塵沙の惑悉く即身応身如来なり、所謂諸法如是と読む時は是れ中道の義に順じて業に依つて受くる所の相性等云云、其に随いたる無明皆退いて即身法身の如来と心を開く、此の十如是三転によまるる事三身即一身一身即三身の義なり三に分るれども一なり一に定まれども三なり。


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