日蓮大聖人御書
ネット御書
(釈迦一代五時継図)
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神力品に云く「仏滅度の後に能く是の経を持たんを以ての故に諸仏皆歓喜す」云云、又云く「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」云云、薬王品に云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦第一と為す」云云、普賢経に云く「煩悩を断ぜず五欲を離れず三昧に入らざれども但誦持するが故に」云云、又云く「其れ大乗方等経典を読誦する有らば当に知るべし此の人は仏の功徳を具して諸悪永く滅して仏慧より生ずるなり」云云、一経の始めの如是我聞を釈する文句の一に云く「如是とは所聞の法体を拳ぐ」と則ち妙法蓮華経是なり。
      一日一夜の説
      権大乗
 涅槃経  説処は跋提河の辺
      常住四教を説く
      同醍醐味
      結経は像法決疑経
此の涅槃経は一日一夜の説三蔵教通教別教円教を明す、亦は醍醐味とも名く、釈尊拘尸那城力士生地阿利羅跋提河沙羅雙樹の間に於て二月十五日の晨朝面門より種種の光を放ち給う十二由旬の内十方の大衆を集めて涅槃経を説き給う即ち三十六の涅槃経旧訳の四十の涅槃経なり、像法決疑経を以て結経と為す、亦ロ拾教と名け亦扶律顕常と云う、化儀は漸部化法は四教なり法華の時猶未解の輩有り更に後番五味を以て余残の機を調熟し給う、涅槃の時四教の機同く仏性を見る秋収冬蔵の如し、唯四機有り倶に常住を知る故に法華と合して同醍醐味と為すなり、凡そ一往此くの如く配立すと雖も万差の機縁に随つて時節の長短不同なり或は華厳の時長は涅槃の時に至る


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