日蓮大聖人御書
ネット御書
(釈迦一代五時継図)
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阿含方等般若も亦爾なり云云、涅槃経の六に「法に依て人に依らざれ義に依つて語に依らざれ智に依つて識に依らざれ了義経に依つて不了義経に依らざれ」と云云、又「亦如来随宜の方便所説の法の中に執着を生ぜざる是を了義と名く不了義とは経の中に一切焼然なり一切無常なり一切皆苦なり一切皆空なり一切無我なりと説くが如し是を不了義と名く何を以ての故に是くの如きの義を了すること能わざるを以ての故に諸の衆生をして阿鼻獄に堕せしむ」云云、十七の巻に云く「如来は虚妄の言無しと雖も若し衆生の虚妄の説に因つて○」文、又云く「虚妄の法則ち是れ罪と為す是の罪を以ての故に地獄に堕す」云云。
一、小乗の戒を破する事
 涅槃経の三の巻に云く「仏迦葉に告げ給わく能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得迦葉我往昔に於て護法の因縁を以て今是の金剛身を成就することを得て常住にして壊せず、善男子正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭鉾槊を持して持戒清浄の比丘を守護すべし」云云、同十七に云く「仏性を見るが故に大涅槃を得是を菩薩の清浄の持戒にして世間の戒には非ずと名く」と云云、又云く「是の経を受持して戒を毀る者は則ち是れ衆生の大悪知識なり我が弟子に非ず是れ魔の眷属なり」云云、法師品に云く「若し是の深経声聞の法を決了する是れ諸経の王なることを聞いて」云云、安楽行品に云く「又声聞を求むる比丘比丘尼優婆塞優婆夷に親近せざれ亦問訊せざれ若しは坊中に於ても若しは経行の処若しは講堂の中に在ても共に住止せざれ」云云、伝教大師の顕戒論の中に云く「貧人の食は是れ輪王の毒なるが如し、故に二乗の者の持戒精進は即ち菩薩の破戒懶惰なり故に応に親近すべからず、来らば為に法を説け親使利養恭敬をわざれ」と云云、秀句の下に云く「小乗の持戒は則ち菩薩の煩悩なり」云云、宝塔品に云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我則ち歓喜す諸仏も亦然なり、是の如きの人は諸仏の歎め給う所なり是則ち勇猛なり是則ち精進なり是を戒を持ち頭陀を行ずる者と名く、


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