日蓮大聖人御書
ネット御書
(頼基陳状)
<1.前 P1157 2.次>

諸人歓喜をなし掌を合せ今暫く御法門候へかしと留め申されしかどもやがて帰り給い了んぬ、此の外は別の子細候はず且つは御推察あるべし法華経を信じ参らせて仏道を願ひ候はむ者の争か法門の時悪行を企て悪口を宗とし候べき、しかしながら御ぎやうさく有る可く候其上日蓮聖人の弟子となのりぬる上罷り帰りても御前に参りて法門問答の様かたり申し候き、又た其の辺に頼基しらぬもの候はず只頼基をそねみ候人のつくり事にて候にや早早召し合せられん時其の隠れ有る可らず候。
 又仰せ下さるる状に云く極楽寺の長老は世尊の出世と仰ぎ奉ると此の条難かむの次第に覚え候、其の故は日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば久成如来の御使上行菩薩の垂迹法華本門の行者五五百歳の大導師にて御座候聖人を頚をはねらるべき由の申し状を書きて殺罪に申し行はれ候しが、いかが候けむ死罪を止て佐渡の島まで遠流せられ候しは良観上人の所行に候はずや其の訴状は別紙に之れ有り、抑生草をだに伐るべからずと六斎日夜説法に給われながら法華正法を弘むる僧を断罪に行わる可き旨申し立てらるるは自語相違に候はずや如何此僧豈天魔の入れる僧に候はずや、但し此の事の起は良観房常の説法に云く日本国の一切衆生を皆持斎になして八斎戒を持たせて国中の殺生天下の酒を止めむとする処に日蓮房が謗法に障えられて此の願叶い難き由歎き給い候間日蓮聖人此の由を聞き給いていかがして彼が誑惑の大慢心をたをして無間地獄の大苦をたすけむと仰せありしかば、頼基等は此の仰せ法華経の御方人大慈悲の仰せにては候へども当時日本国別して武家領食の世きらざる人にてをはしますをたやすく仰せある事いかがと弟子共同口に恐れ申し候し程に、去る文永八年[太歳辛未]六月十八日大旱魃の時彼の御房祈雨の法を行いて万民をたすけんと申し付け候由日蓮聖人聞き給いて此体は小事なれども此の次でに日蓮が法験を万人に知らせばやと仰せありて、良観房の所へつかはすに云く七日の内にふらし給はば日蓮が念仏無間と申す法門すてて良観上人の弟子と成りて二百五十戒持つべし、雨ふらぬほどならば


<1.前 P1157 2.次>