日蓮大聖人御書
ネット御書
(上野殿御返事)
<1.前 P1575 2.次>

 貴辺はすでに法華経の行者に似させ給へる事さるの人に似もちゐの月に似たるがごとし、あつはらのものどものかくをしませ給へる事は承平の将門天喜の貞当のやうに此の国のものどもはおもひて候ぞ、これひとへに法華経に命をすつるがゆへなり、まつたく主君にそむく人とは天御覧あらじ、其の上わづかの小郷にをほくの公事せめあてられてわが身はのるべき馬なし妻子はひきかくべき衣なし。
 かかる身なれども法華経の行者の山中の雪にせめられ食ともしかるらんとおもひやらせ給いてぜに一貫をくらせ給へるは貧女がめおとこ二人して一つの衣をきたりしを乞食にあたへりだが合子の中なりしひえを辟支仏にあたへたりしがごとし、たうとしたうとし、くはしくは又又申すべく候、恐恐謹言。
=弘安三年十二月二十七日                日蓮花押
% 上野殿御返事
*上野尼御前御返事

 聖人ひとつつひさげ十か十字百あめひとをけ二升か柑子ひとこ串柿十くしならびにおくり候い了んぬ春のはじめ御喜び花のごとくひらけ月のごとくみたせ給うべきよしうけ給わり了んぬ。
 抑故五らうどのの御事こそをもいいでられて候へ、ちりし花もさかんとすかれしくさもねぐみぬ、故五郎殿もいかでかかへらせ給はざるべき、あわれ無常の花とくさとのやうならば人丸にはあらずとも花のもともはなれじ、いはうるこまにあらずとも草のもとをばよもさらじ。
 経文には子をばかたきととかれて候、それもゆわれ候か梟と申すとりは母をくらう破鏡と申すけだものは父をがいす、あんろく山と申せし人は師史明と申す子にころされぬ、義朝と申せしつはものは為義と申すちちをころす、


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