日蓮大聖人御書
ネット御書
(百六箇抄)
<1.前 P0869 2.次>

世世以来常受我化我本行菩薩道所成寿命今猶未尽復倍上数云云。]本迹勝劣其理甚深なり、仏若し説かずんば弥勒尚暗し何に況や下地をや何に況や凡夫をや、本仏本化乃能究尽云云、妙楽云く具騰本種[本勝迹劣]故に但名に於て以て本迹を分つ[下種名字妙法事行の勝劣なる所を判ずるなり]本迹は身に約し位に約す[久遠名字即の身と位との判なり]本従り迹を垂れ迹は本に依る迹は究竟に非ず、玄の一に開示悟入是れ迹の要なりと雖も若し顕本し已れば即ち本要と成るなり、籤の一に若し迹中の事理乃至権実無くんば何ぞ能く長寿の本を顕さん云云。
已上種の本迹勝劣畢んぬ
右此の血脈は本迹勝劣其の数一百六箇之を注す数量に就て表事有り之を覚知すべし。
釈迦諸仏出世の本懐真実真実唯為一大事の秘密なり、然る間万年救護の為に之を記し留む。[就中六人の遺弟を定む]る表事は先先に沙汰するが如し云云、但し直授結要付属は一人なり、白蓮阿闍梨日興を以て惣貫首と為して日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く付属せしめ畢んぬ、上首已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり。
 又五人並に已下の諸僧等日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す可きなり所以は何ん在世滅後殊なりと雖も付属の儀式之同じ譬えば四大六万の直弟の本眷属有りと雖も上行薩を以て結要の大導師と定むるが如し、今以つて是くの如し六人以下数輩の弟子有りと雖も日興を以て結要付属の大将と定むる者なり。
 又弘長配流の日も文永流罪の時も其の外諸処の大難の折節も先陣をかけ日蓮に影の形に随うが如くせしなり誰か之を疑わんや、又延山地頭発心の根元は日興教化の力用なり、遁世の事甲斐の国三牧は日興懇志の故なり。
 又御本尊書写の事予が顕し奉るが如くなるべし、若し日蓮御判と書かずんば天神地祇もよも用い給わじ、上行無辺行と持国と浄行安立行と毘沙門との間には若悩乱者頭破七分有供養者福過十号と之を書す可きなり、経中の明文等意に任す可きか。
 又立つ浪吹く風万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり。]


<1.前 P0869 2.次>