日蓮大聖人御書
ネット御書
(如説修行抄)
<1.前 P0505 2.次>

縦ひ頚をば鋸にて引き切りどうをばひしほこを以てつつき足にはほだしを打ってきりを以てもむとも、命のかよはんほどは南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へはしり給はば二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり、あらうれしやあらうれしや。
= 文永十年癸酉五月日                          日蓮在御判
%   人々御中へ
  此の書御身を離さず常に御覧有る可く候
*顕仏未来記

                                    沙門 日蓮 之を勘う
 法華経の第七に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」等云云、予一たびは歎いて云く仏滅後既に二千二百二十余年を隔つ何なる罪業に依つて仏の在世に生れず正法の四依像法の中の天台伝教等にも値わざるやと、亦一たびは喜んで云く何なる幸あつて後五百歳に生れて此の真文を拝見することぞや、在世も無益なり前四味の人は未だ法華経を聞かず正像も又由し無し南三北七並びに華厳真言等の学者は法華経を信ぜず、天台大師云く「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」等云云広宣流布の時を指すか、伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り」等云云末法の始を願楽するの言なり、時代を以て果報を論ずれば


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