日蓮大聖人御書
ネット御書
(四条金吾殿御返事)
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御身には一期の大事たる悲母の御追善第三年の御供養を送りつかはされたる両三日はうつつともおぼへず、彼の法勝寺の修行がいはをが嶋にてとしごろつかひける童にあひたりし心地なり、胡国の夷陽公といひしもの漢土にいけどられて北より南へ出けるに飛びまひける雁を見てなげきけんもこれにはしかじとおぼへたり。
 但し法華経に云く「若し善男子善女人我が滅度の後に能く竊かに一人の為にも法華経の乃至一句を説かん、当に知るべし是の人は則ち如来の使如来の所遣として如来の事を行ずるなり」等云云、法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、然れば日蓮賎身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり。
 教主釈尊は一代の教主一切衆生の導師なり、八万法蔵は皆金言十二部経は皆真実なり、無量億劫より以来持ち給いし不妄語戒の所詮は一切経是なり、いづれも疑うべきにあらず、但是は総相なり別してたづぬれば如来の金口より出来して小乗大乗顕密権経実経是あり、今この法華経は「正直捨方便等乃至世尊法久後要当説真実」と説き給う事なれば誰の人か疑うべきなれども多宝如来証明を加へ諸仏舌を梵天に付け給う、されば此の御経は一部なれども三部なり一句なれども三句なり一字なれども三字なり、此の法華経の一字の功徳は釈迦多宝十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う、たとへば如意宝珠の如し一珠も百珠も同じき事なり一珠も無量の宝を雨す百珠も又無尽の宝あり、たとへば百草を抹りて一丸乃至百丸となせり一丸も百丸も共に病を治する事これをなじ、譬へば大海の一ィも衆流を備へ一海も万流の味をもてるが如し。
 妙法蓮華経と申すは総名なり二十八品と申すは別名なり、


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